11月26日
『イスラエルガザデ苦戦泥沼にはまるか』
イスラエル軍がガザで苦戦、泥沼にはまり込む可能性が指摘されている
ガザでの戦闘は10月7日にハマスの戦闘部隊がイスラエルへ攻め込んだところから始まった。ガザはイスラエルが建設した一種の強制収容所であり、その収容所を取り囲む壁には電子的な監視システムが張り巡らされ、人が近づけば警報がなる。
地上部隊だけでなく戦闘ヘリも駆けつけることになっているのだが、10月7日にハマスはイスラエルへ突入できた。しかも突入の数時間後、2隻の空母、ジェラルド・R・フォードとドワイト・D・アイゼンハワーを含む空母打撃群を地中海東部へ移動させている。
そうしたことから、ベンヤミン・ネタニヤフ政権とジョー・バイデン政権はハマスに攻撃させたのではないかと疑う人が少なくない。その攻撃を口実にしてガザのパレスチナ人を追い出すか皆殺しにする計画だったのではないかというのだ。
攻撃の際、約1400名のイスラエル人が死亡したとされた。その後、犠牲者の人数は1200名だと言われるようになるが、相当数のイスラエル人が死亡し、拉致されたことは間違いないだろう。
しかし、イスラエルの新聞ハーレツによると、イスラエル軍は侵入した武装グループを壊滅させるため、占拠された建物を人質もろとも砲撃、あるいは戦闘ヘリからの攻撃で破壊したという。
イスラエル軍は自国民を殺害したということだ。ハーレツの記事を補充した報道もある。イスラエル軍は自国の兵士が敵に囚われるのを嫌い、かつて、自軍を攻撃し傷つける代償を払ってでも、あらゆる手段で誘拐を阻止しなければならないという指令を出した。
「ハンニバル指令」だ。1986年にレバノンでイスラエル軍の兵士が拘束され、捕虜交換に使われたことが理由だという。発想としては「生きて虜囚の辱を受けず」と似ている。この指令は2016年に撤回されたとされているが、今回、発動したのではないかという噂がある。
ガザでの戦闘が始まった時点でイスラエル政府の高官は記者団に対し、人質が拘束されていると思われる場所を特定できていればイスラエル軍はその場所を標的にしないだろうが、そうでなければ人質の安全を優先して作戦が制限されることはないとしていたと伝えられている。
アル・シファ病院の場合、イスラエル軍は別の場所にハマスの地下司令部があることを知っていながら病院を攻撃、患者や避難民を殺傷している。当初、勘違いしていたとしても、そこが司令部だということを確認せずに攻撃することは許されない。
知ってからは確信犯だ。ウクライナでロシア軍は人質の安全を優先したことから攻略に手間取ったが、そうしたことをイスラエル軍は嫌ったのだろう。それほどイスラエル政府は強硬で、ガザからパレスチナ人を一掃するまで戦闘を止めるようには見えなかったのだが、イスラエルとハマスは11月22日、戦闘を4日の間、中止することで合意した。 停戦が始まってもイスラエル軍はガザ市民を銃撃しているようだが、合意したことは確かだ。アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターも指摘しているように、イスラエル政府が停戦に合意したのは彼らが想定したような戦況になっていないからだろう。
ガザでの戦闘が西側で言われているような状況でなく、イスラエル軍が苦戦していることはハマス側が流している映像でも推測できる。ハマスのトンネルのうち完全に破壊されたのは約3割にすぎないという。