好書『南京事件はなかった』を推薦する
物事の真実など当事者であっても、分からないのではないだろうか。特に日本人にはことの真実を知る能力が、欠落しているのではないか、と思えてならない。その原因は日本人は常に他とのバランスの中で、ことを図るからだ。
ことの本質はどうであるかではなくて、一般の人たちはどう感じているかに、重点が置かれるのだ。今回ここで取り上げる南京事件についてもそうであろう。その事件が起こったのかではなく、その事件について一般の人たちはどう思っているか、に判断の基点が置かれるのだ。
もしそれが起こっていなくても、一般の人たちの判断〈らしい〉が白であれば白になり黒であれば黒にすることが、保身に繋がると判断するであろう。問題はその結果がそれで決まると後はほったらかしになるのだ。
どうやら南京事件はあったらしい、みんながそういっているのだからあったのであろう。そして結論はあったということになる。そして南京事件は大方の日本人の間であったと判断されそれで終りだ。
関係者らしいとされた人たちはいつの間にか極悪非道な人にでっちあげられてしまう。それが全くの嘘でもそうなるのだ。噂をもとに南京事件があったと判断した人たちはその犯人らしいとされた人たちを、極悪人呼ばわりしてことは収まる。
非難する側の人たちの責任は何もない、彼らは正義の側にあったと自分で思い、それをよしとするのだ。金もかからず何の責任もなく事は済む。
南京事件の被害者だとする人たちは、そうして日本人が作りあげた妄想をもとに、日本たたきを始め、何がしかの利益を得ようとすることになる。それは韓国の場合も同じであろう。
中国との間ではいまだに犯罪者意識から抜け切らず、外交でも大分遠慮して対応いているし、韓国からはそれが原因で大分ゆすられてきている。問題はそのゆすりたかりの一端を日本人も関与しており、日本人も利益を得ているために、問題は何処までも嘘がまかり通るのだ。
問題を冷静に考えてみればいいだろう。南京事件が起こったとされるころ、日本軍は絶対的に優勢であり、女子供を何十万人も殺す必要などなかった。しかも天皇の軍隊はそんな非道なことはしない、と言うのが鉄則であった。では何故起こったことになったのか。
それは薄っぺらな正義と善人でありたいという日本人のさもしい心が、生み出した結果であろう。だがその事は多くの人たちを地獄に追いやり、日本を不利な立場に追い込んでいるのだ。
日本の外務省は最初のうちは市民が日本軍に殺された、と記述していたらしいのだが、最近になってそれは事実ではなかった、と書き始めているということのようだ。こんなでたらめを通してきた外務省は、何処の国の、機関なのかと言いたくなる。きっと将来は日本の外務省が、日本人を戦地に送り出すような、動きに変わるのではないか。
この『南京事件はなかった』は種々の膨大な事実を調べ上げてもいる。一読にあたいする戦中、戦後の日本史を書いた良書ではないか。
佐々木良昭