『ウクライナ兵の残虐行為国民反発』

2022年6月24日

ブログ6月24日

 ウクライナ軍の兵士が戦線から離脱、その理由をインターネット上で説明している戒厳令や戦闘の最中、命令に従わなかった兵士を司令官が射殺しても構わないとする法案がウクライナ議会に提出され、後に取り下げられたようだが、こうした法案が出てくるのは兵士の造反が無視できなくなっているからだろう。ウクライナはネオ・ナチの影響下にある国ではなく、ナチズムに支配された国になりつつある。マリウポリのアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)はウォロディミル・ゼレンスキー政権から「玉砕」を命令されていたようだが、大多数の兵士が投降、人質になっていた住民が解放された。その住民はネオ・ナチ軍の実態をカメラの前で証言、西側の有力メディアが展開していた「報道」が嘘だということが明確になっている。

 雑誌「シュピーゲル」はマリウポリのアゾフスタル製鉄所から脱出した住民のひとり、ナタリア・ウスマノバの証言を3分間の映像付きで52日に伝えた。ところがすぐに削除する。ショルツ内閣や米英の政権にとって都合の悪い事実が語られていたからだ。兵士の離脱が続いている一因は、現在のキエフ体制が国民に支持されていないということもある。ゼレンスキー大統領は選挙で圧勝したが、それには理由がある。例えば「コメディアン」として彼の良いイメージを国民に植え付けていたほか、

キャンペーン期間中、腐敗の根絶、進歩、文明化、そしてドンバスとの和平実現といった公約が受け入れられたということもあった。ネオ・ナチ、つまり西側の政策に従わないと宣伝していたのだ。国民はネオ・ナチ体制にうんざりしていたのである。

 ウクライナ政府にも話し合いで解決しようとする人がいた。そのひとりがボロディミル・ストルクだが、31日に誘拐され、拷問された上で射殺されている。35日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBUの隊員に射殺され、37日にはゴストメルのユーリ・プライリプコ市長の死体が発見された。ウクライナ全体では11名の市長が行方不明だとも言われている。

 処刑を実行するための秘密部隊を編成、すでに作戦を遂行しているともしていた。それだけ民心がゼレンスキー政権から離れている。キムにとって「裏切り者」とはゼレンスキーの政策に同意しない人びとであり、それはアメリカやイギリスの政府の政策でもある。

 軍や(ウクライナ保安庁)の隊員、特にベテランの中にはクーデター政権に従うことを拒否した人が少なくなかったようで、ドンバスの反クーデター軍へ合流した人もいると言われている。

 59日にキエフ体制はドネツクのマリウポリへ戦車部隊を突入させ、住民を虐殺。そうした軍事的な圧力の中、511日にドンバスでも自治(ドネツク)や独立(ルガンスク)の是非を問う住民投票が実施され、ドネツクでは89%が賛成(投票率75%)、ルガンスクでは96%が賛成(投票率75%)している。この結果を受け、ドンバスの住民はロシア政府の支援を求めたが、ロシア政府は助けなかった。

マリウポリは戦略上重要な場所で、アゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)の拠点になる。62日にはデレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りしたが、その日にクーデター政権はルガンスクの住宅街を空爆している。