『トルコの立ち居地ウクライナ問題など』

2022年2月13日

 同時に一つ以上のテーブルにいることはできない、特に緊張が危険な水準にあるウクライナのような話題ではとErkin Öncanが書いている。この危機は、ロシア-ウクライナというより「ロシア-アメリカ/NATO危機」と呼ぶほうがふさわしいだろう。

アメリカ合州国による指揮の下、欧米は全力でロシア封じ込め戦略を続けているが、欧米メディア(全くのプロパガンダ機関)は逆の言説を流し続けている。いわゆるロシア占領。 欧米メディアで目玉にしている「ロシア占領」言説は実際にロシアが軍事的にとる措置には関係ない。この言説は欧米帝国の権益と直接つながっている。

おまけに、この「侵略」プロパガンダは、ウクライナを一層欧米に依存させるはずだ。この状況は、NATOが同盟が加盟諸国によってさえ問題にされ始めた時期、まさに適切な時に、その血を新たにするのを可能にするのだ。

 欧米メディアは、成功裏に歴史上の任務を果たし、しばしば彼らが声に出すジャーナリズムの原則を踏み潰すことで、NATOの権益に沿ったニセ情報の取り組みを続けている。

1900年代前半に起き始めた社会主義革命や民族解放運動の連鎖のおかげで「幽霊」以上になった。世界中の虐げられた国民の蜂起や革命は帝国主義体制の世界搾取に対する最大の障害になった。1950年代、帝国主義には、この障害を排除し、戦争と搾取の世界を確立する手段が必要だった。NATOだ。

 NATOは、帝国主義によって、世界中のあらゆる進歩的運動に対して、特にソビエト社会主義共和国連邦に対して、「共産主義の脅威」の口実の下、反対する姿勢をとるように作られた。

この最大の侵略機構によって、自身の正当性をでっちあげるため使われる最大な議論が他でもない「ソ連による侵略の可能性」だった。トルコはNATOメンバーとして、何年もの間NATOとアメリカの権益のために行動してきたが、特に過去五年間については、同じことを言うことはできない。

 トルコとアメリカ間の関係は最近悪化する傾向にあり、双方による「パートナーシップ」の果てしない声明にもかかわらず、お互いの権益に矛盾する措置が実際に行われているの明らかに見てとれる。 

 アメリカ合衆国の「前哨基地」候補で、当時のメンデレス政権は、この前哨基地を守るための「完全な、うってつけ」だった。ソ連の脅威」はトルコが「リトル・アメリカ化」過程に入るパスワードだった。この「リトル・アメリカ」化過程で、国家情報組織(MIT)のような対ゲリラ組織や、アメリカ諜報機関に具体化されたSpecial War Departmentが生まれた。

 1952年に始まったトルコのNATO化過程は、エルドアン政府自身、欧州連合とアメリカへの親近感のメッセージと欧米陣営の権益と一致する政治的措置で、権力の座についたのだ。だが、欧米陣営と協力するエルドアン政権の熱意は揺るぎ始め、地域におけるアメリカの権益と矛盾するまでになった。

 アメリカが支援する原理主義者フェトフッラー・ギュレン率いる運動間の関係悪化をもたらした。(後にそれは「並行国家」、更にテロ組織と定義された)。これはアメリカとの分裂を強化した。   

アメリカがシリア計画に、くるど人民防衛隊YPGを選び、大量武器提供と経済円輔は、意思係を損なう猛一つの重要な原因になった。ロシア戦闘機撃墜や、駐アンカラ・ロシア大使アンドレイ・カルロフ殺害のような、大きな問題にもかかわらず、NATOにとって最も衝撃的なトルコによるロシアのS-400航空防衛システム購入を含め、様々な合意で、ロシアとの関係は改善し続けた。

  ウクライナ問題に関して、第一に「地域の当事者」の役割を引き受けたエルドアン政権は、バランス政策を使って、この方向への措置をとっても、結局その位置がNATO前線にあるのを想起させる「ジグザグ政策」という定義が可能だ。

エルドアンはウクライナでの戦争を妨ぐため「全ての措置をとる」準備ができていると述べ、彼は「ウクライナの領土保全を尊重し」「クリミア半島へのロシア侵略に常に反対する」と宣言した。

アカル国防大臣は「NATOの価値観と責任を共有し、1952年以来、トルコは託された全ての義務と任務を成功裏に実行した。NATOは史上最も成功した防衛同盟だ。我々は、この同盟はこれまでのどの時期より、一層積極的で、活動的だと信じている。」

 エルドアンは「我々はすべてのテーブルにつく。」この精神で活動して、AKP政権はそれが座る全てのテーブルから、最大の利益を得ることを目指している。だが、ロシアとアメリカ間で調停者役を果たすことを望むトルコのいつもの戦略はうまく行くまい。

地域と国際的な場で、作戦を先導する選手たらんと目指すと言うエルドアン政権とAKPが、NATOとアメリカに「毎回もう一度チャンスを要求する」のをトルコの運命の指標にしている限り、この目標は決して実現するまい。