『トルコのマスコミは何も報じていない』

2021年5月21日

 トルコのマスコミは何も報じていない、という印象を持つようになった。以前は対外軍事行動や、外交、経済でトルコのネットには、多数の記事が掲載され、読む者を引き付ける関心度の高い記事が、多かったからだ。

 しかし、最近ではこれと言った重要性を持つニュースは、ほとんど伝えられていない。そのため、私のようなトルコやIS(ISIL)などを重点的に、書いている者にとっては、極めて不便な状態だ。

 そうしたなかで、例外的にニュースが多いと言えるのは、反体制のトルコ・ミニッツであろうか。それもあまり多いとは言え無いのが実情だ。このトルコ・ミニッツなどは相当のプレッシャーを、政府から受けているのであろうか。

 何故このようなことがトルコのマスコミで、いま起こっているのであろうか。多分に政府の圧力、検閲が、働いているからではないかと思われる。その事は折々報じられており、逮捕されし、かもその後投獄されている、ジャーナリストの数は少なくない。

 しかも、刑務所に入れられ、そこでコロナに感染したり、他の病気で治療も受けられずに、死亡するケースも多数出ている。これではたまったものではあるまい。事実を報道しようと思えば、それは命がけということになるのだ。

 トルコ政府に一番近いのではないか、と思われるサバー紙の場合は、相当自主規制が効いているようで、ニュースというものはほとんど、報じられなくなった。このサバー紙が報じるのは、政府与党AKPの宣伝臭の強い記事ばかりだ。

 もう一つの主要紙フッリエト紙の場合も、大分ブレーキがかかっていて、パンチの効いた記事は掲載されなくなっている。それでも時折検閲に引っかかり、フッリエト紙のジャーナリストが逮捕されたりしている。

 トルコ政府の気持ちも分からないでは無いが、エルドアン大統領の機関紙的な記事ばかりを報じていると、庶民はマスコミを信用しなくなり、逆にデマや推測が広く伝わるようになる。それはかえって政府の信用と、イメージを悪くするのではないか。

 エジプトのナセル時代にはノクタ〈ジョーク〉は許されており、庶民は大量の政治ジョークを生み出していた。それが雑誌になって、毎月出るほどだったのだからすごいことだ。ナセルは多分それで庶民の不満を、吹き飛ばしていたのであろう。ジャーナリストで後に情報大臣になった、ハサネイン・ヘイカル氏がアドバイザーだったから、出来たことであろう。

 エルドアン大統領も自分が一番偉い、と思うのではなく、優秀な人材を上手に使うことを、覚えるべきであろう。それが自身の地位の安泰に繋がるのだから。