アメリカ政府はアフガニスタンから5月1日に始め、9月11日までにアメリカ軍を撤退させる、と発表した。アフガニスタンの状況には大きな進展などないいま、アメリカ政府が同国からアメリカ軍を撤退させる、というのには何か裏があるのであろう。
これまで、アメリカ政府はシリアへの侵略戦争、イラクでの占領戦争、イランへの経済戦争を激化させ始めていた。さらにウクライナではロシアに対して挑発、東アジアでは中国に対する圧力を強めてもいる。
過去にも、アメリカ軍をアフガニスタンから撤退させる、という考えはトランプ大統領の時代にあった。しかし、この案はアメリカの議員だけでなく、政権の内部からも激しい批判が起り、頓挫している。
今回のバイデン大統領のアフガニスタン撤兵案は、正規軍に限られ、秘密裏に活動している特殊部隊、情報機関の工作員、そしてペンタゴンの傭兵は残るということであろう。
シリアなどから救出したムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)のジハード傭兵も、アフガニスタンで戦闘を続けると見るべきだ。航空機、ドローン(無人機)、あるいはミサイルの攻撃も続く可能性が高い。
アメリカがアフガニスタンにこだわり、長期の派兵を続けてきたのには、理由が有る。ひとつは中央アジア諸国からの、石油パイプラインの通過ルートだということ、もうひとつはリチウムなど希少金属を産出すること、また中国が計画している「一帯一路」のうち、陸のシルクロードが近くを通過すること、中央アジア戦略の拠点になること、アフガニスタンがイランとパキスタンの間にあること、そしてCIAの資金源である麻薬(ヘロイン)の原料であるケシの産地であることなどだ。
アメリカはこうした理由から、アフガニスタンの反体制派へ資金援助を開始、反体制派の選定はパキスタンの情報機関ISIのアドバイスに従ったのだ。そのために、パキスタンにアメリカの傀儡政権を樹立する必要があり、1977年7月の軍事クーデターでその目的は達成された。
ベナジル・ブットの父親であるズルフィカル・アリ・ブットの政権が倒され、陸軍参謀長だったムハンマド・ジアウル・ハクが実権を握ったのだ。このジアウル・ハクはアメリカのノースカロライナ州にあるフォート・ブラグで訓練を受けた軍人で、ムスリム同胞団系の団体に所属していた人物だ。そして1979年4月、ブレジンスキーはアフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」への「同情」をNSC(国家安全保障会議)で訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始している。
他方、1979年12月にソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻したが、ソ連共産党のミハイル・ゴルバチョフ書記長は1987年にアフガニスタンからのソ連軍を引き上げると宣言、89年2月に撤兵を完了させている。
その後、アフガニスタンで最強の組織となったのは、ソ連消滅後の1994年、CIAがパキスタンのISIの協力を得て組織したのがタリバーンだった。こうした一連の動きのなかで、ウサーマ・ビン・ラ-デンはアルカーイダのトップとして暗殺されている。彼の存在はアメリカがアフガニスタンに軍事侵攻するのを、助けているのだ。
アメリカ政府は9・11事件の主犯として、ウサーマ・ビン・ラーデンを名指しにしていたのだ。こう考えてみると、ほとんどはアメリカによる、シナリオに沿った動きだった、ということではないのか。