『アメリカが西サハラをモロッコ領土と承認』

2020年12月12日

 1980年代半ばからもめていた、西サハラ領有問題に、一応の終止符が打たれたようだ。これはモロッコの領土としていたところだが、スペインが領土主権を放棄したことで、ポリサリオ組織が独立を宣言し、1985年から独立闘争が始まっていたのだ。

 砂漠だけのこの西サハラに、どういう価値があるのか分からないが、資源のあるなしにかかわらず、国家はその地域に対する主権を、叫ぶものなのであろう。1980年代にアルジェリアを経由して、西サハラに入ったことがある。

 当時ポリサリオ側(西サハラ政府独立運動組織)は軽火器で武装しており、せいぜい臼砲程度が、重火器の部類だった。砂漠の街チンドーフにある、西サハラの難民キャンプを訪問した時には、いろんな面白い話が生まれた。

 ポリサリオの戦士が運転するジープに乗って、前線基地に行った時の話だが、突然車の前方で砂煙が上がる、モロッコ軍の基地に近づきすぎたために、モロッコ軍が警告射撃したのだ。

 武装部隊の装備を見に行った時は、臼砲につめた玉が飛び出さないので、逆さまにして抜こうとする、場合によっては地面に落ちた瞬間に、爆発することもあるわけだ。あわててジープの陰に、隠れたことを思い出す。今となってはみな笑い話なのだが。

 このポリサリオはアルジェリアが支援しており、全ての装備から難民キャンプの食糧も、アルジェリアから送られてきたものだった。  

 モロッコはと言えば、1990年代後半にキャンプ・デービッド合意が成立することにより、モロッコとイスラエルとの関係は前進し、双方が通商代表部事務所を開き、やがては大使館に昇格される、と言われていた。

 しかし、キャンプデービド合意成立後も、イスラエルとパレスチナとの関係は進展せず、モロッコとイスラエル関係も進展を見なかった。今回、モロッコとイスラエルの関係正常化が成立したことは、画期的出来事といえよう。

 アメリカ政府が西サハラを、モロッコ領土と認めたことで大きな前進をし、モロッコはイスラエルとの関係を、正常化したということであろう。それはモロッコにとっても、イスラエルにとっても、嬉しい話であったろう。

 最初にアラブ首長国連邦が動き、次いでバハレーンが追従し、いまモロッコがイスラエルとの関係正常化に動いたことは、このあとサウジアラビアやカタール、そしてクウエイトも動く、ということではないか。

 そうなれば中東世界の地図は、大幅に塗り替えられよう。その場合、パレスチナ自治政府はどうなるのか、一国解決か二国解決になるのか。あるいはパレスチナ人のほとんどが、ヨルダンに追放されるのか、大きな変化が生まれよう。

 国際政治とは面白いものだ。アラブ世界の東側に位置する(中央)パレスチナ・イスラエルの問題が、アラブの西の果てモロッコで押したボタンによって、大きな変化を見せるのだ。かわいそうなのはポリサリオだ。