最近のニュースのなかでは、中東ニュースのトップに来るべきなのは、このニュースであろう。シリアの政界の大御所ともいえる、ワリード・ムアッレム外相の死亡ニュースだ。彼の死亡年齢は79歳であり、死亡日は11月の16日に伝えられた。
大柄なこの人の体つきは、回りに威圧的であると同時に、信頼感を与えていたのではないか。現在、シリアの大統領職にあるバッシャール・アサド氏などは、子供の時からよく知っていて、可愛がられていたのであろう。
従って、今回のワリード・ムアッレム外相の死亡は、バッシャール・アサド大統領にして見れは二人目の父親を失ったようなものであろう。口数少ないバッシャール・アサド大統領は学級肌であり、兄バーセルとは異なり政治向きではなかったのだろうが、兄の交通事故死で、急遽ロンドンから呼び戻され、次期大統領の地位に据えられていたのだ。
ワリード・ムアッレム外相の最後の舞台は先週開かれた、難民帰還会議であった。既にワリード・ムアッレム外相は相当体力を、失っている模様だと伝えられていた。彼の能力については、アメリカも高く評価していたようだ。
ワリード・ムアッレム外相は一時期、在外大使をしておりその後、外務副大臣となっていた時期もある。そうしたことから、彼はロシアのボグダノフ外務副大臣とも、長い交友関係にあり、信頼関係が構築されていた。
ボグダノフ外務副大臣はワリード・ムアッレム外相について、ロシアとシリアの関係の重要さを、一番知っていた人物と評している。彼はワリード・ムアッレム外相と35年の付き合いだったと語っている。
イランのザリーフ外相はワリード・ムアッレム外相が、シリアの国家利益や防衛、治安もカバーしていた人物と評価している。
ワリード・ムアッレム外相は以前、タンザニア、サウジアラビア、スペイン、イギリスの大使を務めており、ルーマニアの大使も勤めた経験がある。またシリア・イスラエル間の難しい交渉でも、主導していた。
そのワリード・ムアッレム外相が死亡したということで、バッシャール・アサド大統領も落胆し、大分体制がぐらつくのではないか、という懸念が沸く。もちろん、彼はワリード・ムアッレム外相が敷いた親露政策を、今後も遂行しては行くだろうが。