東ローマ帝国が完成させた、ハギア・ソフィア教会を、オマン帝国がイスタンブールを攻略した段階以来、支配するようになった。それは戦争の結果であり、誰も否定出来ないことであろう。
しかし、ハギア・ソフィア教会はキリスト教の、象徴的建物であることから、この問題は宗教的対立感情を、生み続けてきていた。そのハギア・ソフィア教会を今年になり、トルコ政府はキリスト教会から、イスラム教のモスクに正式に、変更すると発表した。
これまではハギア・ソフィア教会は、トルコの支配下にあっても、あくまでもモスクにすることはなく、キリスト教会の体裁を残していた。いわゆる観光スポットとしての、売込みがもっぱらであったのだ。
ここに来て正式にトルコ政府が、ハギア・ソフィア教会をキリスト教会から、モスクに変更したことは、西側のキリスト教諸国から、クレームが出るのは当然であり、ギリシャはその先頭に立とう。
今回の最初のハギア・ソフィア・モスクでの礼拝で、気になっていたのだが、やはり、キリスト教国やキリスト教徒側からは、相当クレームが高まりそうだ。それは明らかなトルコの保守帰りであり、力をもってキリスト教諸国に対抗するという、強い意志が見えたからだ。
ハギア・ソフィア・モスクのイマームは・説法台の上に、剣を携えて上ったのだ。それはオスマン帝国の形の剣であり、平和を願うモスクでの行為としては、相応しくないと思うのだが、それをあえてやってのけたのだ。
歴史的には前例があったと,イスラム史の専門家は主張している。オスマン帝国がイスタンブールを攻略した後、このハギア・ソフィア教会で礼拝したときも、帯剣であったというのだ。しかし、それは戦時のことであり、今日には相応しくなかろう。
このトルコの行為で目立ったのは、トルコがイスラム世界をリードする、カリフの国だというイメージであり、エルドアン大統領はイスラム世界のカリフだ、と暗に示したものであろうかということだ。
あるいはそれは、あからさまな行為かもしれない、トルコは断固として、キリスト教諸国に対抗する、ということになるのではないのか。そして今回のトルコのとった行動は、イスラム世界にそのイメージを示し、トルコがイスラム世界の力の代表である事を、認めさせようということであろう。
歴史的な前例を引き出しても、やはり剣は剣、平和の象徴にはなり得まい。愚かなエルドアン大統領の、力の誇示以外の何物でもなかろう。何処のイスラム教国がこのエルドアン大統領の愚行を、支持するというのであろうか。まさに裸の王様であり、従者たちは皆それに従う、臆病で愚かな下僕達ということであろう。