『コロナに負けずに戦闘継続』

2020年4月 2日

  世界中がコロナ禍に大あわてしているなかで、いまだに戦闘を継続している人達がいる。リビアとイエメン、シリアがそれだ。それ以外にもイラクでも、戦闘は散発的に続いている。

 彼らは何のために戦っているのか、と言いたいが、そこにはいろいろな事情が、あるのであろう。早く帰宅して、家族をコロナから守りたい、と考えているのだろうが、なかなかそうは行かないのであろう。

 戦闘参加は生活の手段であり、戦闘参加は組織への帰属を、示すものであろう。また、プライドの問題もあろう。だがそれはやはり、いまのような緊急事態のなかでは、充分な説明にはならないのではないか。

 リビアで戦っている人達は、リビアが東西に分裂しており、主導権を握らなければ、将来に対する不安が、あるからであろうし、その事はリビアの唯一の産品である石油の、収入を手に出来るか否かが、絡んでいるのだ。

 またリビア内戦に狩り出された、シリアのミリシアたちにしてみれば、戦闘参加は出稼ぎの一種であり、宗教信条の理由からであろうか。いずれにしろ、命をかけなければならないほど、彼らには収入の手段が無い、ということであろうか。

 イエメンの場合もリビアと同じように、国民が分裂し、それぞれのトップの立場を守るために、戦闘が続いているが、サウジアラビやアアラブ首長国連邦と、隣接していることもあり、イエメンの場合は国内問題から、あるいは地域問題そして国際問題へと、拡大している。

 シリアの場合も然りで、各種のグループが互いに、戦闘を展開している。当初は確か、アサド体制への国民の反発から、内戦が始まったのだが、今では多くの外国が、シリア問題に関与してきており、シリア人だけの考えでは、どうにもならなくなっている。

 アラブの場合は、日本とは異なり、人種の違い、宗教の差異、宗教内宗派の違い、部族意識など多くの対立要素が、存在しているのだ。これでは一旦火がつくと、治めるのは容易ではなくなろう。

 こうして考えてみると、人間の持つ恨みや、敵対感情の爆発は、コロナ以上に怖いということであろうか。それがあまり起らなかった日本は、世界の人種のなかで例外的であり、幸福なのであろう。

 日本における、コロナの伝播のしかたが、緩慢であることに、世界はいま驚いている。その疑問への答えは、日本人の清潔好き、マスク手洗いの習慣、挨拶はお辞儀だけ、秩序を守ることなどを、外国人は挙げている。

 そして、もう一つ肝心なのは、長く続いた江戸時代の、平和の産物ではないのか。