『コロナ拡大の裏側で』

2020年3月23日

 コロナが一定国による細菌兵器であり、世界を混乱に導くためのものだ、という意見に賛成するつもりはないが、コロナが拡大したことにより、この状態を活用しよう、と考える国は、多数あるのではないだろうか。

 ある国は人口を抑制したいと考え、患者を放置しようし、ある国は特定国家の経済に、ダメージを与えようと考えるだろう。またある国は、相手国の教育システムを破壊しようとか、科学技術の発展にブレーキをかけよう、と考えているかもしれない。

 実際の場面でもそうしたことは、見え隠れしている。一番顕著なのは、イランとアメリカとの、関係であろうか。アメリカはコロナが蔓延するイランに対し、世界に呼びかけて薬品を売るな、と言っているのだ。

その挙句アメリカはイランに対し、協力意思があることを伝えたが、もちろんそれはハメネイ師によって、拒否されている。アメリカが何を考えて、立場を急変させたのか、判断が出来なかったからであろう。だが、この拒否はイラン国内で、体制への批判を増やし、体制不安を生み出すのではないか。

コロナの蔓延は各国の社会に、変化をもたらしている。例えば親しい者の間で行われている、ハグ(抱き合い)を禁止し始めているし、握手さえも禁止の方向にある。 

そればかりか、モスクで行う礼拝に対して、幾つかの国は既に禁止措置を、取り始めている。多数が集まることは、コロナを伝染してしまうからだ。だが、これに対し、エジプトの宗教権威筋は、モスクでの礼拝を禁止することは、宗教法(シャリーア)に反することだ、と反対している。

宗教が優先するの、あるいはコロナからの防御が、優先するのかは、これからも大きな社会問題に、なって行くだろう。我々日本人からしてみれば、防疫が優先されるべきだ、と誰もが考えるのだが。

 コロナは宗教だけではなく、人と人との関係も大きく、変えてしまうのかもしれない。死に際に家族に会いたいのは、患者も健常者も同じであろうが、コロナに罹病した者の場合は、この限りではないというのだ。

 遺族が家族の遺体に会えるのは、遺体が火葬され、骨になった時だけなのかもしれない。実に悲しい話ではないか。それがこれからは、アフリカでコロナが拡大していき、多くの悲しみが生み出されることになろう。