『イラク・デモは様相を変え宗派対立になるか』

2019年12月 5日

 イラクの国内で始まったデモは、元はと言えば汚職や失業、貧困といった、一般的な国民の、不満が原因であったが、ここに来て様相を変えつつあるようだ。次第に生活や政治への不満から、宗派対立の様相を、呈してきているのではないか。もちろん、その根底にはイラク人の、イランのイラクへの介入の、拡大に対する不満もある。

 イラク南部のカルバラ(シーア派の聖地)の、シーア派モスクへの放火事件は、単なる暴徒による放火ではなく、極めて政治的な色彩を、含んだもののように思える。しかも、放火はこれまでに立て続け、3度も起こっているのだ。

 このナジャフのシーア派モスクに対する放火に続いて、他の地域のシーア派モスクへの放火が、起こっているのだ。これは次第に、イラク全土に広がって行くのではないか、と懸念される動きだ。

 述べるまでもないが、イラクはイスラム教徒の国家であり、その6割はシーア派3 割弱ほどがスンニー派、残りはヤズデイ、クルドなどだと言われている。しかし、サダム・フセインの時代には、少数派のスンニー派政権であり、シーア派国民に対する、弾圧が続いていた。

 サダム・フセイン大統領体制が、打倒された後は、シーア派が政治を牛耳るようになっている。以来、シーア派の首相が連続して続き、政治を行っているが、それはスンニー派にとっては、極めて不愉快なことであろう。

 以来、スンニー派とシーア派との対立が続き、一時期はIS(ISIL)の勢力拡大につれて、元サダム・フセイン配下のバアス党員幹部たちが、多数IS(ISIL)に参加して、今日に至っている。それはバグダーデイもスンニー派であったことから、極めて当然の帰結、と言える部分もあろう。

 このサダム・フセインの残党が結託する、IS(ISIL)のイラクでの台頭、イラクのスンニー派とシーア派の対立を、強めていた。そのぶり返しが、最近のスンニー派によるデモや、シーア派モスクへの放火ではないのか。

 これが今後、計画的組織的に進められていけば、確実にスンニ―派対シーア派という対立が、武力を伴うものとなり、遂には内戦へと、繋がるのではないか、と思われる。それはアメリカの、喜ぶところでもあろう。

 アメリカはシリアにしろイラクにしろ、国内の混乱が続くことを、画策してきていたのだ。それを今の段階で止めるとは、とても思えない。今後もアメリカはイラクやシリアの国内混乱工作を続けることであろう。イランもしかりであり、イランでは南西部のスンニー派を煽って、暴動を起こさせている。

 イラク問題は案外、アメリカの思うツボに、なるかもしれない、イラク国内の内部対立が、エネルギー源になるからだ。ただし、それはイラク国民の多くの血が、流されるということでもある。