『イランのタンカーは結局返却されることになった』

2019年8月16日

 イランのタンカーがシリアに、石油を運んでいる、という嫌疑により、ジブラルタルで拿捕され、イギリスの監視下に置かれて久しい。そのタンカーが釈放されるという予測は、イランから出ていたが手こずっていた。

 それは後で、アメリカがそのタンカーを受け取りたい、と言い出したことで分かった。イギリスがイランのタンカーを返却するというので、アメリカはそう簡単にイランに、タンカーを返してなるものかと考え、それに待ったをかけようとしたのであろう。

 しかし、そもそもこのタンカーの拿捕は、初めから何の正当性もなかった。イギリスはあるいはアメリカの要請で、やったことだったのかもしれない。そして、それを口実にアメリカとイランとの、緊張関係を盛り上げ、すわ、戦争というムードをペルシャ湾海域に、アメリカは創ろうとしたのであろう。

 

 アメリカが唱えた合同軍の結成もしかりで、この流れの一部を構成していた。それでアメリカは最大限の圧力を、イランにかけようとしたのであろう。しかし、合同軍の結成は失敗に、終わっている。トランプ大統領のから元気な脅しなど、イランには全く効果がなかったのだ。 

 アメリカの兵隊にも、戦争をする気などないし、第一アメリカの国家財政は、火の車でもあり、とても戦争をやれるだけの、体力はあるまい。戦争をあおっていたのは、一部の政治的エリートたちであり、彼らは血を流すことも、自腹を切ることもない。

 そうしたことを十分わかっていたのは、アメリカの敵イランだった。だからイランはどんなにトランプ大統領が、戦争を口にしても、全く歯牙にかけなかったのだ。『馬鹿犬が吠えている。』という程度に、受け止めていたのであろう。

 

 結果的に、イランのタンカーは、アメリカには引き渡されずに、イギリスによってイランに、返却されることになった。イギリスはそれでイランから点数を稼いだろうし、最初の拿捕でアメリカには、貸しを作ったということであろう。イギリスの経済は相当厳しい状況にあり、イランとの取引を、熱望しているのであろう。アメリカともしかりだ。

 イギリス政府はこれで十分役割を果たした、と胸を張っている。しかし、それはイギリスが海賊国家であることを証明する以外の、なにものでもあるまい。これからはこのような蛮行が、イギリス政府によって、繰り返し行われるようになろう。それは、新しいイギリスの首相に、ボリス・ジョンソンが就任するからだ。

今後まともな首相が、イギリスに誕生するには、1020年という歳月がかかろう。それが過ぎるまでは、狂気の若い血が暴れまくり、法も秩序も消えてしまおう。それは全ヨーロッパとアメリカも同じであろう。当分は我慢の時代が続く、ということだ。