『アラブの春から8年・多くの権力者が去った』

2019年4月12日

 アラブの春という権力に対する、大衆の抗議行動が始まったのは、2011年だった。この闘争の中でリビアのカダフィが去り、エジプトのムバーラクが去り、アルジェリアのブーテフリカが去り、チュニジアのシブシが去り、昨日はスーダンのバシールが去ったようだ。

 シリアのバシャール・アサドはロシアの支援を受け、その地位に留まることができた。彼はまさに幸運だったと言えよう。イエメンでは何人かが交替したのか。いまの大統領は実権を握っていまい。

 これらの失脚していった権力者たちは、押しなべて長期政権であり、独裁者と言われていた。だが、リビアやイラクの例を見ると、独裁が必ずしも悪くない、という一面もある。独裁者は大衆を恐れ、パンは食わせるように努力し、治安は維持するのが、普通だからだ。

 この一連の独裁者外しの後に、何が出てくるのであろうか。その国の情況が大改善され、国民が幸せになれるかというと、その保証はないのではないか。リビアはカダフィが去った後、国民はパンを手にするのに事欠き、国内は戦乱が続いている。

 イラクの場合も同様に、サダムが去った後は外国の介入が強くなり、政権の者たちは彼らと連携し、懐を肥やすことを、考えているのではないのか。そのため、リビアでもイラクでも、カダフィやサダムの時代を懐かしむ者が、出てくるのは当然であろう。

 それでは誰がこのアラブの春を、計画したのかというと、当然その国の国民ではない。外国が計画し、その国に介入し、反体制側を支援して、権力者たちを打倒していったのだ。従って、体制打倒後の果実は、彼ら外国人の手に渡る仕組みを、作ったということであろう。

 アラブ人の悲しさは、他の国の例から学ばなかった、ということだ。リビアがどれだけ酷い国になったのか、イラクがどんな酷い状況に、置かれるようになったのかを、学ばなかったのだ。

 この一連の動きは、まず大衆が蜂起し、民主政府なるものが結成され、その後に軍によるクーデターが起こる、というものだった。エジプトなどはその典型で、ムバーラク打倒後、ムスリム同胞団のモルシーが大統領になり、次いで、シーシによる軍事クーデターが起こって、今日に至る。

 アルジェリアでもどうやら軍が、相当の力を持つのではないか。スーダンも然りだ。それは何故かというと、軍ほどこれらの国で、しっかりした組織が無いからだ。軍人のエリートは優秀であり、結束は固い、従って彼らが最終的に、権力を握るのは、当然であろう。

 その軍事国家になるまでの間、革命という美酒に酔う国民たちの、何と多くが犠牲になることか。そしてその犠牲は彼らの家族以外には、誰も覚えていない。