『サダムの日への郷愁イラクで広がる』

2019年4月11日

 最近になって、比較的あけすけにサダム大統領、フセイン体制を称賛する意見を、口にする者が増えているようだ。それが意外にも、シーア派国民のなかに多い、というのだから意外だ。案外シーア派国民は現在の体制が、シーア派であることから言いやすいのかもしれない。スンニー派の国民はマイノリテイとなり、下手なことを口にすれば逮捕、投獄されるのかもしれない。

 そのサダム時代を懐かしむ人物の一人は、シーア派国民だが、彼に言わせるとサダムの後に出て来た、アメリカの選出した政治家たちは、レベルが低すぎるということだ。これでは国の運営などできるはずもないということであろう。

 政治的問題、治安上の問題、地域の問題とイラクは多くの問題を、抱え込んでいる。このため、国民は政府をほとんど信用していないようだ。例えばそのことは、選挙で分かる。57パーセントの国民が投票を、ボイコットしているのだ。

 そして政府もしかりであり、4人の閣僚の選出に合意できずにおり、国防相と内務相のポストは、空いたままだ。それはアメリカが200349日に、侵攻したときから続いている混乱だ。

 ある人は「なぜサダムを追い出したんだろう、もう一度サダムにこの国を再建してもらいたいが、それを口にすれば私は殺される危険がある。」と語った。サダムの時代には暴力犯罪は少なく、政府はもっとしっかりしていた。というのだ。イラク人の外交官の妻も同様に、サダム時代を懐かしがっている。彼女の夫は現在、アラブ連盟に勤務している

 いまではイラクの国内問題が、周辺諸国によってかき回され,イラク人の手にその権限はない。サダムのバアス党政権打倒で、バアス党員は政府の職や治安部から、追放された。その後を継いだのは経験も何もない、素人たちだった。

 住宅問題は戦争で破壊され、不足しているが、一向に改善の兆しは見えない。それは現体制の政府職員に、経験が無いからであろう。2003年以来、首都のバグダッドには、多くのイラク国民が地方から集まって来て、バグダッドの人口は800万人を超えている。それは以前の倍の数字だ。

 イラク国内はインフラが破壊され、道路も橋も産業施設も、コミュニケーションセンターも水道施設も、壊れたままになっている。サダムの時代には、戦争で破壊されたインフラは、たちまちにして修復されていた。

 それは大規模なビルに始まり、インフラの再整備が行われ、モニュメントも再建されていた。しかし、いまでは誰もインフラなどの再建を、まじめに考えていないのだ。

 今では外国の勢力、イランやトルコ、アメリカなどが、バアス党無き後のイラクを牛耳っている。こうした状態のイラクを、一番恐れているのは権力を握るシーア派の、幹部たちであろう。何時国民が怒りを爆発させるか、分からないからだ。