『アカル国防相投票2日前の発言』

2019年4月 1日

  トルコのアカル国防相が、2016715日に起こった、クーデターについて語っている。それはトルコの地方選挙から、2日前のことだった。これは実に興味深いことではないか。その発言内容は、与党か野党のいずれかに、ダメージを与えることになるからだ。しかも、2日前となっては 誰も忘れはすまい。

  そして、このアカル国防相はクーデターが起こった当時、情報長官の地位にいた人物なのだ。そうであることは、彼が相当詳しく、クーデターの可能性について、情報を掴んでいたのではないか。少なくとも、彼はその可能性を、予測していたものと思われる。

  だが、彼はこのクーデターの後、何の処分も受けなかったばかりか、国防相に昇進しているのだ。そのことから、あるいはアカル情報長官とエルドアン大統領との間で、何らかの取り引きがあったのではないか、と推測していた。

 このクーデターは極めて不自然な、展開を勃発後に記録している。最初に居場所を隠し、捕まらないように隠れるべきエルドアン大統領は、リゾート地のマルマリスから自家用機で、イスタンブールに戻っているのだ。これも不自然なことだ。クーデターには空軍も参加しており、大統領の専用機はよく知られているはずであり、上空で捕捉され、強制着陸させられるか、撃墜される危険性が高かったはずだ。

 そして、もう一つの疑問は、彼がイスタンブールに戻ると即座に、記者会見を開いたたことだ。これも常識的に考えれば、危険極まりないことだったはずだ。しかも、その時点ではまだ、クーデター活動は続いていたのだ。

 そして、加えて言うと、彼は記者団に対して、国民へのメッセージを語るのだが、『国民は表に出てクーデターに反対しろ。』と言ったのだ。それは極めて危険な状態に、国民をさらすことになるのだから、大統領としては『家から出るな。』、と言うべきであったろう。

 最後にこの記者会見に同席した、エルドアン大統領の義理の息子ベラトは、この記者会見の席で、にやにやしていたというのだ。彼の表情の何処にも、緊張や恐怖は表れれていなかった、と伝えられていた。

 これらのすべての疑問の答えを知って居たのは、アカル情報長官(当時)であろう。その彼が3年後のいま口を開いたのだ。その発言の内容はいわば、淡々と事実を語ったという感じに、伝ええられている。彼は『クーデター後16294人が逮捕投獄された。』と語り、その後2018719日までに1177人が逮捕されたとも語った。

 アカル国防相は何を考えて、この時期にクーデターについて、発言したのであろうか。考えられることはアカル国防相が、エルドアン体制に見切りを付けたのではないか、ということだ。今回の選挙結果と、政府(エルドアン大統領)の対応次第は、暴動が起こることも十分あり得よう。