『ニュージーランド・テロでトルコが震え上がる』

2019年3月17日

 

  ニュージーランドのクライスト・チャーチで起こった、二つのモスク襲撃事件は、大きなショックを世界中に、与えたことであろう。なかでも、その攻撃対象となったイスラム教徒たちは、自分のことと同じように、受け止めたのではないか。

  一度に49人が殺され、48人が負傷したのだから、当然の反応と言えよう。実はこのイスラム教徒殺害テロ事件で、一番不安に陥っているのは、トルコ国民であり政府であろう。何故ならば、その襲撃犯ブレントン・タラントンはオーストラリア出身の、28才の若者だが、彼は過去に何度も、トルコを訪問していたのだ。

 トルコに入国する際には、必ずパスポートのコピーが、空港で取られており、誰が何時入国したかは、調べればすぐ分かるようになっている。トルコのようなテロが、外国から侵入してくるケースの高い国では、たちまちにして洗い出される、ということであろう。

  多分、事件が起こって間も無く、ニュージーランドの治安当局から、トルコ政府に対して、ブレントン・タラントンのパスポートを調べ、トルコへの入国が多いことから、連絡が入ったのであろう。

 そして、その結果、トルコは間違いなくこの犯人が、自国に何度も入っていたことを、確認したのであろう。そうなると、まず考えることは、ブレントン・タラントンがトルコでのテロを起こすことを、計画していたということになろう。

 歴史的に学問的な興味から、トルコを数度訪問する者はおろうが、観光だけではそうではあるまい。それ以外に、複数回訪問するのは、寒い地域の人達が、避寒目的の比較的長期滞在で、訪問するためであろうか。

 トルコ政府とニュージーランド政府が、協力してこの事件を調べていると、ブレントン・タラントンは反イスラムの思想の持ち主であり、オスマン帝国(トルコ)が東ローマ帝国から奪った、現在のイスタンブール、コンスタンチノープルをキリスト教徒は奪還すべきだ、と主張しているのだ。

 そればかりか、ヨーロッパのトルコ人に対しても、牙を向けていたということが分かった。その第一は、トルコ移住者の一番多いヨーロッパの国、ドイツでのトルコ人イスラム教徒を狙ったテロが、計画されていたのであろう。彼ブレントン・タラントンは『ヨーロッパに行ってトルコ・コミュニテイの住民を殺せ。」と主張しているのだ。

 ブレントン・タラントンが残したマニフェストには『ヨーロッパで生活しているトルコ人を殺せ。ドイツ以外のヨーロッパに暮らす者も殺せ。』とはっきり書いてあるのだ。

 彼ブレントン・タラントンは『トルコ人が平和に暮らせるのは、ボスポラス海峡の東側だけだ。』と主張し、『我々はコンスタンチノープル解放のためにトルコに行き、そこでイスタンブールの街の、全てのモスクとそれに付随する、ミナレット(尖塔)を破壊する。ハギア・ソフィア(東ローマ帝国時代のキリスト教会で、その後モスクに変えられていた。)は解放され、キリスト教徒の手に戻る。』という過激なものだ。

 加えて、彼のマニフェストには、エルドアン大統領も殺すべきだ、と書いてある。またNATOではなく、ヨーロッパ軍を創設すべきだ、とも彼は書いてあるのだ。

 ブレントン・タラントンが残したマニフェストは、78ページにも及ぶ長文であり、相当力を入れて、書かれたものであろう。いまの段階では彼のマニフェストが、世界中で読まれているということだ。なかでも、ヨーロッパの右翼的思想あるいは、民族的思想の若者の間では大歓迎され、彼らのバイブルのように、なっていくのではないか。

 そうなると、ブレントン・タラントンが今後裁判で有罪になっても、彼はヨーロッパやアメリカの右翼青年たちの、カリスマ的存在になっていこう。こうした人物が出てくるということは、まさに時代がそれを求めており、大衆のなかに受け入れる者たちが、多数いるからであろう。

 エルドアン大統領は弔問団を結成し、ニュージーランドに送り、世界のイスラム教徒たちには、対抗を呼びかけている。またこの事件は、イスラムホビア(イスラム嫌悪)と人種差別が、生み出したものだ、と非難している。

 なお、事件当時、車がブレントン・タラントンらを乗せ、襲撃後現場から逃走するように、用意されていたということだ。もし、クライスト・チャーチで逮捕されていなかったら、他のモスクも襲撃され、犠牲者の数は膨大なものになっていたろう。また、この車には多数に武器と弾薬が、詰まれてあったと報じられている。