私もその一人で、高価な買い物をしたわけでもなければ、豪華な食事を楽しんでいたわけでもない。しかし、だからと言って、自分をみじめだとは、思わなかった。つまり、それなりの満足を感じていた、ということであろう
ところが、いったん日本から外国に目を向けると、多くの国でその日暮らしに、困窮している人たちが沢山いる。そのうちの何割かは、銃を持って命がけで戦い、そこでなにがしかの金を受け取って、暮らしている。IS(ISIL)のほとんどの戦闘員は、この類であろう。
最近、インターネットで中東のニュースを見ていると、幾つもの国で食糧不足が、騒がれるようになってきている。食糧不足と諸物価の値上げが、直接的に庶民の日々の生活を、苦しいものにしているのだ。
スーダンではもう1か月以上にも渡って、パンの値上げ反対デモが続き、一部には死者や負傷者が出ている。政府は何とかしたいのだが、無い袖は振れないために、状況を放置するしかないのだ。
本来、スーダンは食料に事欠くようなことの、無い国だったはずだ。それはエジプトと並ぶ、ナイルのたまものだったからだ。その国が食料で苦しむということは、一言で言えば政治が、間違っているからであろう。かつて、ビン・ラーデンはスーダンのゴマの取引で、財を成していた時期がある。
スーダンのこの状態は当分続き、犠牲者が出続けるということであろうが、北アフリカのチュニジアでも、同様の状況が発生している。ここでもパンが値上がりし、諸物価が上がり、庶民は生活苦に追い込まれているのだ。
失業率が上がり、大学を出た若者たちが、仕事がない状態に追い込まれ、数か月前には、確か大卒の若い女性が、自殺したように記憶する。つい最近も、チュニジアの若者が自国の現状を悲観し、焼身自殺を図っている。
若い女性はおしゃれをしたいし、男性は恋を語りたい。しかし、そんな余裕は無く、暗い毎日が続いているのだから、自殺をしたくなる気持ちが分らないでもない。そんな状況だから、チュニジアはIS(ISIL)に、一番多く戦闘員を、出していたのであろう。
それはレバノンでもヨルダンでも、エジプトでも言えることであり、リビアでもしかりだ。カダフィ大佐の時代には、アフリカで最も豊かな国、と言われた産油国のリビアが、内戦の継続で今ではパンすらも、買えないような混乱状況にあるのだ。
ここで忘れてならないのは。アラブの多くの国の国民は、いまだに国家というよりも、部族単位で連帯しているということだ。いったん独裁者による押さえつけが無くなると、たちまちにして、各部族が勝手なことを言い出し、欲の皮を突っ張らせ、戦闘が展開されるようになるのだ。
従って、こうした国では独裁者がいなければ、ならないということだ。それを民主的でない、と非難することは、聞こえはいいが、沢山の死傷者を生み出す元なのだ。イラクのサダム体制も、国民にパンを食わせないという状態は、創り出さなかったのだ。
必要悪としての独裁者たちに、万歳と言いたい気持ちになるような、暗いニュースの多い、最近のアラブ世界だ。