『ネタニヤフのオマーン訪問の裏に何が』

2018年10月27日

 イスラエルのネタニヤフ首相が、10月26日の金曜日に、オマーンのスルタン・カーブースの招待で、同国を公式訪問した。これは1996年以来のことであり、1996年にはペレス首相が、オマーンとカタールを訪問し、両国に通商代表部を開設している。

 それ以前の訪問は、1994年のラビン首相の訪問だった。今年の早い時期には、オマーンのユーセフ・ビン・アラーウイ外相が、イスラエルを訪問している。このユーセフ・ビン・アラーウイ外相のイスラエル訪問は、アラブ高官の公式訪問としては、注目に値するものであった。

 ネタニヤフ首相のオマーン訪問では、オマーンのスルタン・カーブース国王との間で、中東の和平が討議されたということだ。しかし、実際にはイランとイスラエル、アラブの関係が、討議されたのではないか、と見られている。

 オマーンはアラブ湾岸諸国の中では、例外的にイランとの間で、良好な関係を維持している国だ。それは1970年代前半に起こったドファール戦争で、イラン軍がオマーン軍を支援し、反体制側と戦ったことによる。

 今回のネタニヤフ首相のオマーン訪問は、事前には何も発表されていなかった。言わば突然の訪問、という形のものだった。そこで噂されているのが、オマーンにイランとの仲介役を依頼しに、行ったのではないか、ということだ。

 数日前、ヨルダンのアブドッラー国王は、トルコ、カタール、オマーンとの関係を強化する、と突然言い出している。これら3国はいずれも、イランとの間で友好的な関係を、維持している。

 いまの段階では何も断言できないが、オマーン・イラン・イスラエル関係に限らず、中東世界では大変革が、始まっているのではないか、と思われる。イランとアラブの関係、イランとアメリカ・イスラエルとの関係に、大変化が起こるのではないか、ということだ。