『ガザのことを書いてみよう』

2018年10月 6日

 今年に入って、パレスチナのガザでの抵抗運動が始まり、現在に至っている。報道によれば、既に7ヶ月が経過しているということだから、相当の被害が発生していることであろう。

 ガザには大分前、アラファト議長が生存中に、小池都知事と行った事がある。アラファト議長と小池さんは、旧知の間柄であり、再会を喜んでいた。ガザを訪問したのは冬の時期だったが、冬のガザは結構寒く、空もどんよりと曇っていた。夏場は気候もよく、地中海の風を受けて、快適な所であろうと思った。

 ガザはまるで子供の、積み木遊びのようなところだ。イスラエルの攻撃で破壊されたところは、国際援助でビルが新築され、また新しい街に生まれ変わる。それを今まで何年も、繰り返してきているのがガザだ。その事はガザの住民が仕事を得ることであり、同時に援助を受けるということでもある。

 言ってみれば、ガザの住民は命と交換に、生きる術を受け取っている、ということでもあろう。だがそれは多くの悲しみを、生んでいることも事実だ。殺されるのは、何も大人と限ったことではない、幼い子供たちも、犠牲になっているのだ。

 イスラエル側は遠くから砲撃し、ロケットやミサイル攻で撃をし、戦闘機で空爆するのだから、何処に攻撃をすれば、大人たちだけが犠牲になり、何処なら子供たちに犠牲は出ない、などということは分かるわけも無い。

 過去7ヶ月の間に死亡したガザの住民の数は、100人前後ではないかと思われるし、負傷者の数は多分、その10倍はいよう。家屋もビルも相当破壊され、国際援助機関にはまさに、新たな活躍の舞台が、出来たということであろう。

 そうした言わば、スクラップ・アンド・ビルドの流れを変えたのは、アメリカのトランプ大統領だった。彼は自分の中東和平への考えに、賛成しないのであれば、国連もアメリカもガザに援助を送らない、と言い出したのだ。

 このためUNRWAも援助活動が、出来ない状態に陥っている。その事は、ガザの住民にパンが届かず、教育も医療サービスも、ストップしているということだ。ガザの住民は多分天を仰いで、アッラーに援助を祈っていることであろう。

 他方では、ガザとイスラエルとの境界線周辺に、多くのパレスチナ人が集まり、毎週金曜日には、激しい抵抗運動が繰り広げられており、それに対しては、イスラエル軍の陸と空からの攻撃が、行われているということだ。

 ガザの住民にしてみれば、明日への何の希望も無いなかでは、自分の命を掛けて抵抗運動を続けることは、あるいは天国への扉を開ける鍵を受け取れる、と思っているのかもしれない。もちろん、そうは言っても犠牲者の遺族たちと、友人たちの悲しみはひとしおだ。

 ヨルダン川西岸のラマッラ(パレスチナ自治政府の言う仮の首都)という、安全な街で生活する、マハムード・アッバース議長(パレスチナ大統領)は、ガザをコントロールするハマースに対して、パレスチナ自治政府側にガザを開け渡すよう、要求している。

 これ以上衝突が続けば、イスラエル側の受ける損失も、少なくないだろうし、イスラエルに対する国際的な批判も、高まろう。マハムード・アッバース議長はイスラエルとアメリカからの圧力で、何とかガザの衝突を、沈静化させようとしているということであろう。

マハムード・アッバース議長の活動は、イスラエルとアメリカに対する奉仕であり、決してガザのパレスチナ住民に対する、支援ではないということだ。