『あるトルコからの訪問者との語らい』

2018年7月10日

 トルコでは624日の大統領選挙で、エルドアン氏が大勝利し、強力な政府と体制が誕生した。そしてその初日が79日であった。これがトルコ国民をどの方向に導いていくかは、今後のエルドアン大統領とトルコ政府の課題であろう。まずは祝意を表するのが、国際儀礼であろう。

同時に、トルコ北西部テキルダで起こった、列車の大事故に弔意を述べたい。24人が犠牲となり、124人が負傷するというものだった。日本でも大雨で100人以上の犠牲者が出ているが、トルコからも外相名で、弔意が寄せられている。日本政府はトルコの列車事故に、どう対応したのであろうか。しかるべき姿勢を示して欲しいものだ。

国際問題について、私見を述べることは、簡単ではない。自分ではその問題を、分かったつもりでいても、実は一側面しか見ていないことに、気が付いて、愕然とすることがある。私はいまアラブとトルコのことを、主に書いているが、そのなかでも折々、判断ミスが生まれているようだ。

先日、トルコの紳士と会う機会があった。彼はアメリカでドクターを取得し、教授をしていたという、インテリだった。彼と話をしている間に、幾つもの部分について、私の考えの間違いを指摘され、教えられた。

 話題は715日が近いこともあり、2016年にトルコで起こった、クーデター未遂事件が主題となった。もちろん、それ以外のことについても、触れたのだが、トルコのクーデター未遂事件は、以来、今日なおトルコ社会に、暗い影を落とし続けている。  

彼の主張は厳しいものだった。述べるまでもなく、クーデターは250人のトルコ人を、犠牲にしたからだ。そのなかには子供たちも、トルコの将来を担うべき,青年たちもいたということだ。

その犠牲になった子供たち、若者たちのうちの親の一人と、彼は親しい関係だったと言っていた。彼はその親の気持ちを考えると、耐えられなかったと語っていた。そのことについて話をする、彼の声は震えていた。

同じ様に、彼はトルコの空軍機が、大統領公邸や国会議事堂を、空爆したことについても、信じられない出来事だった、と語った。そして橋に対する攻撃や、警察署に対する攻撃についても,語っていた。彼に言わせると、トルコ空軍機が空爆するなどということは、起こってはならないことであり、起こることは予測出来ないことだった、ということだ。

いかにこのクーデターが複雑であり、トルコ社会に大きなダメージを与えたかは、日本人の我々には、トルコ人が納得出来るような、理解は得られまい。715日に起こったクーデターは、トルコ社会にとっては、それだけ大きな出来事であり、悲劇的な出来事であったか、ということだ。

彼の心情は理解できるが。私はそれら一つ一つの出来事について、十分な情報を入手する能力を、有していない。従って。彼の発言内容を、全面否定することは出来ないし、同じように全面的に、受け入れることも出来ない。

出来事には幾つもの面があり、その面の意味するところは複雑でもある。それはあたかも、ボールのようなものであろう。あらゆる部分は他の部分と交差し、重層をなしているからだ。

一定の時間が経過した後に、このクーデターに関する、真実の多くが明らかになることであろう。その意味では、トルコ政府の主張にも、耳を傾けるべきであろうし、外国のマスコミが流した情報にも、目を通すべきであろう。

従って、不明確な状態で、物事に対して軽々な判断を下すことは、慎むべきなのかもしれない。今回のトルコのインテリとの語らいは、国際政治、外国の政治状況がいかに複雑であるかを、痛感させられるものであった。

第三者に対してものを書き、あるいは講演する立場にある者は。出来るだけ正確な情報を、集めることを心掛けるべきであると同時に、軽々な判断を下すべきではない、ということであろう。

人間が間違いやすい、最大の失敗要因は、思い込みによって判断を、下すことであろう。