エルドアン氏が大統領就任する前に、大統領であったギュル氏が、最近になって政治的な発言をしている。私はその事がいろいろな意味で、重要であろうと考えている。エルドアン独裁体制の下で、政治的な発言をすることは、場合によっては完全に社会的地位を、失う危険性があるからだ。
ギュル前大統領が発言したのは、非常事態法に関してだ。それは既に、何度も延長を重ねてきているが、この非常事態法の下に、多くの人達が逮捕され、投獄されているのだ。ギュル前大統領はその事に、コメントしたということだ。
しかし、さすがのギュル前大統領も、彼の発言が大きな波紋を呼んだことから、身の危険を感じたのであろう。彼は1月12日の金曜礼拝の後、『(非常事態法は)私が立ち入る問題ではない。』と発言している。与党AKP内部で反ギュル発言が、出てきているからであろう。
エルドアン大統領は1月10日の、AKP議員総会の席で『党を離脱した者に文句を言う権利は無い。』とギュル前大統領の名前こそ出していないが、彼を非難しているのだ。加えて『電車から落ちた者はその落ちた場所に留まるべきだ。』とも語っている。
他方、ギュル前大統領は『今回の非常事態法延長が、最後になることを願っている。議会はそうすべきだ。確かに、トルコは厳しい時期を経験してきており、その時期には非常事態法が、必要であったことは認める。しかし、いまは常態に戻ったのだから、民主化すべきだ。それは全ての国民の、望むところだ。』と語っている。
何故いまの時期になって、ギュル前大統領がこうした、エルドアン大統領の方針と真逆の発言を、したのであろうか。加えて、ダウトール前首相も彼の母校、ボアジチ大学での講演を計画し、潰されている。
つまり、ほぼ時を一つにして、前大統領と首相が反エルドアンの動きに、出ているということだ。そのことは簡単に言ってしまえば、エルドアン大統領の独裁体制に、緩みが生じてきているのかもしれない、ということだ。
先日は最高裁がジャーナリストの裁判で、無罪の判決を下し、首相と対立している。これも法曹界から、エルドアン大統領に対して『ノー』と言う意見が出された、ということであろう。しかも、その『ノー』の発出元は、トルコの最高裁判所なのだから、重みがあろう。
先日会ったトルコに関係する人物は、エルドアン体制は5月頃に危機に向かうのではないか、と語っていた。その根拠を訊いたところ、ここに来てそう噂する人が増えている。以前は怖くてそんなことを、口にする人達はいなかった、と答えていた。