レバノンの首都ベイルートは、かつて中東のパリと呼ばれた街だった。ベイルートにはパリ最新のファッションが持ち込まれ、すぐにコピーが作られ、街にはそれで着飾った若い娘たちが沢山いた。
レバノンは十字軍の通過地点であったために、多くの混血が生まれ、レバノン人口の相当部分を占めていた。まさに紅毛碧眼の民だ。彼らのなかにはそうしたことから、フランスの国籍を持つ者も、多数いるのだ。
しかし、1970年のヨルダンとPLOとの戦闘後、レバノンにパレスチナ難民が多数流入し、PLOが入ってくると状況は一変した。それまでのレバノンの宗派バランスが崩れ、内紛が頻発するようになった。
そして極めつけは、1975年から始まった、レバノン内戦だった。その内戦は15年の長きに及び、やっと終えた。その後、荒廃のベイルートを建て直したのは、サウジアラビアで事業に成功した、ラフィーク・ハリーリ氏だった。彼はその後、レバノンの首相に就任するのだが、暗殺されている。
その子息のサアード・ハリーリ氏が、いま首相に就任しているのだ。だが彼はサウジアラビアを訪問中に、暗殺の危険があるとして、辞任を表明した。だが、それはサウジアラビアによって、彼が拘束されたからであろう、というのがもっぱらの推測で、レバノンではハリーリを返せ、という声が高まっている。
そして、このハリーリが辞任に追い込まれたのは、サウジアラビアとイスラエル、アメリカによる陰謀だと言われている。他方、サウジアラビアは拘束していないと言い、暗殺の危険はヘズブラとイランの結託による、と非難している。
そのため、いまイスラエルとレバノンとの間では、何時戦争が始まってもおかしくない緊張状態が、生まれているのだ。サウジアアラビア政府とクウエイト政府は、自国民に対し早急にレバノンから逃れるよう、呼びかけている。
イスラエルにしてみれば、レバノンのヘズブラとイランとの関係が強く、ヘズブラは常にイスラエル側を挑発していると思い、攻撃したいと思っているのだ。イランはいまシリアに入り、シリア軍を支援し、シリアとイスラエルとの国境の、ゴラン高原に駐留しており、レバノン側ではイスラエルとの国境に、ヘズブラが張り付いているのだ。
イスラエルはこれではイランに包囲され、やがてミサイル攻撃を受けるだろうという、強い懸念を抱いており、何とかして状況を緊張させ、アメリカ軍にイラン攻撃をして欲しい、と望んでいるのであろう。
レバノンの国民にはいい迷惑な話だ。サウジアラビアがハリーリ首相の辞任を迫ったのも、その流れの一部のようだ。