数週間前だったろうか、サウジアラビアで来年から、女性が車を運転できるようになったことが、報じられた。それを読んだ時の感想は、やっとサウジアラビアも女性に、運転を許可したか、という程度のものであったが、後になってこのことは、とんでもない大変革を、サウジアラビア国内に生み出すのではないか、と考えるようになった。
サウジアラビアでは映画が禁止され、若い男女が集まることも禁止され、女性の一人旅も禁止され、といった具合になっている。全てはイスラム法に則ってということなのだが、他の湾岸諸国では女性の、運転が認められている。つまり、厳しいルールは、サウジアラビアだけのものなのだ。
それは、サウジアラビアのイスラム法は、同国の王国が誕生する以前からあった、ワハビー派という厳しいイスラム法を、順守するグループの影響によるものだ。このワハビー派は、サウド家がサウジアラビアを支配する段階で、政治的同盟を結んだ組織なのだ。
この結果、サウド家は強大なイスラム組織の、バック・アップを受けて、安定した体制へと成長していった。そして、そのサウド家とワハビー派との間で、交わされた合意は、ワハビー派にイスラム教の全ての権限を託し、ワハビー派は国の統治の権限の、全てサウド家に託す、というものだった。
以来、この合意は今日まで、双方によって守られてきており、サウド家は王家となっても、イスラム法についてはワハビー派に、口を挟むことは無かったのだ。その鉄壁の関係に、ムハンマド・サルマン皇太子が穴を、開けるかもしれない,という懸念が、生まれてきた。
それはムハンマド・サルマン皇太子が発した一言だった。彼は『以前の穏健なイスラムにサウジアラビアは戻す。』と言ったのだ。『以前』とは何時の事なのか、誰の統治の時代なのか、という疑問が沸いて来よう。
彼が言った『以前の』という時期は、サウド家とワハビー派が結託しない前のことを、言っているのだ。つまり、ムハンマド・サルマン皇太子は、ワハビー派のイスラムに対する考えを、全面否定すると宣言した、ということではないのか。
サウド家とワハビー派との力関係は現段階では、対等なものからサウド家優位に、なっていることは、誰にも分かろう。サウド王家がイスラム教についても、ワハビー派とは異なる意見を、露骨に述べるように、なって来ていたのだ。
問題は、IS(ISIL)がワハビー派のイスラム理論を、大幅に受け入れており、IS(ISIL)に参加しているサウジ国民も、ワハビー思想なのだ。従って、ムハンマド・サルマン皇太子が今後も、イスラム改革を進めていくことになれば、サウド王家とワハビー派が対立し、遂には武力衝突を起こす事態も、懸念されよう。
ムハンマド・サルマン皇太子は26歳、欧米を見て、自分の国もそれに近づけたい、と思うこともあろう。それは危険と背中合わせではあるが。