『トルコのシミット売りがロヒンギャに寄付』

2017年9月 9日

 

 この記事を読んだとき涙が出た。それだけショックだったからだ。私にはミャンマーのムスリムたち、ロヒンギャが直面している悲劇に、何が出来るのだろうか。実は何も出来ないような、気がしている。

 トルコでは路上で、いろんなものを売る、物売りを見かける。そのなかにシミットという、ゴマを振りかけた焼き菓子(硬いリング状のパン)売りがいる。1個の値段がせいぜい340円であろうか。それを売る男たちの日収は、幾らになるのであろうか、と考えたことがある。彼には妻がいて、子供たちもいるのだ。

 トルコのコカエリ県に住むエルカン・アイハンさんも、シミット売りで生計を立てている人の一人だ。彼はミャンマーのロヒンギャの惨状を見て、何もせずにはいられなくなり、彼の二日分の売り上げ147トルコリラおよそ43ドルを、寄付したというのだ。

 『私はイードルアドハ(イスラム教の犠牲祭)で、何も口にする気にはなれなかった。我々の兄弟たちがミャンマーでは、殺されているのだから。』彼はそう語った。確かに世界はこのミャンマーの悲劇を、無視している。誰も支援しようとはしていないのだ。

 他方、日本では謙信の刀を、3億円以上も出して、ある県が買おうとしており、持ち主は高値を主張しているとか。あるいは金のやかんがみつかリ、1千万円以上するとか、という話が飛び交っている。

 一日の稼ぎが22ドルにも満たない人が、ロヒンギャの惨状を見かねて、二日分の売り上げを寄付するとき、何もしようとしない日本人は、恥ずかしいと感じないのだろうか。

 子供の頃に叔父が話してくれたことを、今でも覚えている。戦後の貧しい時期に、路上の物乞いに、貧しい日本人は金を恵んでいた、というのだ。叔父は』自分が苦しいときは人の苦しみが分かるんだよ。』と語っていた。

日本人はアベノミクストかで浮かれており、誰も他人の不幸を省みようとしていない。その人の不幸はその人の責任、という考え方が一般的に、なっているのではないだろうか。その考え方が人間的なのだろうか、と思うのだが。