『リビアに動き・明確ではないが』

2017年8月 1日

 

 リビアの国内状況に、変化が起こっているようだ。先に行われたパリでの、セラジ首相とハフタル将軍との話し合いは、ある種の前進があったのかもしれない。その後まもなく、イタリアがフランスのリビア問題への介入を、非難している。

 イタリアがフランスのリビア和平努力に、クレームを付けたということは、前進があったことの表れではないのか。リビアの旧宗主国であるイタリアにすれば、フランスがリビアへの影響力を、強化させることは、嬉しくあるまい。

 このパリでのリビア両巨頭の会議を前後して、セラジ首相がハフタル将軍に対して、大統領のポストを提案した、という情報も流れていたが、ハフタル将軍をそれを、軽く否定している。

 リビアの統一政府が出来ていく方向にあるのではないか、と思われる兆候としては、リビアの憲法制定が議会で纏まったことが、あげられよう。カダフィ大佐の時代には、リビアには憲法らしいものが無かった。

カダフィ大佐に言わせれば、必要なルールはその都度国民が話し合って、決めていく、というジャマヒリア方式だった。つまり、カダフィ大佐の著書であるグリーン・ブックに記載されていた通りに、国内が運営されていたということだ。

今回制定される憲法では、そうはいかないので、何をベースにするかと言えば、イスラム法が出て来よう。それはイスラム法については、リビア国民の誰も否定できないからだ、彼らは真面目なイスラム教徒なのだから。それではそれが厳格に実施されるのか、と言えばそうではないことを期待する。

フランスが介入してきたということは、フランスの憲法を一部に押し込む、という事であろうから、現代に合ったものに近づくのではないか、と思われる。それは一部の例外を除き、リビア国民が望むことでもあろう。

ここに来て、リビアの国内問題が前進するのではないか、と思われるのは、そろそろ、リビアの国内を収拾させないと、欧米のリビアからの収奪が、遅れるからではないのか。欧米はカダフィ体制を破壊する工作に成功したが、再構築はあまり容易ではあるまい。

欧米が動き始めたのは、リビアそのものが、欧米の獲物であったと同時に、リビアが欧米にとって、アフリカ中央部への侵攻の、玄関口だからであろう。チャド、ナイジェリア、ニジェール、ウガンダなどにリビアを拠点として、欧米は進出していくものともわれる。

かつてリビアがイドリス・サヌーシーの王政の時代には、リビアのトリポリがアメリカの、アフリカ進出の拠点となっていた。その中心はウイーラス空軍基地だったのだ。好都合な場所は時間が経過しても、好都合だということであろう。