『エルドアン大統領のローザンヌ条約記念演説』

2017年7月25日

 

 第一次世界大戦後に、オスマン帝国は列強諸国との間に、セーブル条約を交わし、戦争の終結を合意するとともに、新たなオスマン帝国と周辺諸国との、国境を決定している。

 そしてその後には、イギリス、フランス、ギリシャ、イタリアなどとの間に、新生トルコ共和国がこれらの諸国との間に、ローザンヌ条約を交わしている。それはイスラム教を重視したオスマン帝国とは異なり、世俗主義の国家であった。

 トルコのエルドアン大統領は、715クーデター打倒記念式典に続いて、ローザンヌ条約が交わされた、94周年記念行事を執り行い、これを祝った。

 しかし、エルドアン大統領はこの記念すべき行事で、あまり意味のある発言をしていない。それはエルドアン大統領にとって、セーブル条約とは異なり、多くのオスマン帝国時代の領土を失った、ローザンヌ条約を嫌っているからかもしれない。

 シリアやイラク問題でエルドアン大統領が、ことさら軍事介入を求めていたのは、実はそのローザンヌ条約で失った、オスマン帝国領土を奪還する口実を、作りたかったからだ。

 なかでも、シリアの北部地域は全てが、オスマン帝国領土であったことから、エルドアン大統領はIS問題が勃発して以来、シリアの情勢に対して、大きな関心を持ち続けて来ていた。

もちろん、それとともに、シリア北部には多数のクルド人が、居住していることから、クルド人による自治権の獲得、そして、それに続く独立を、警戒しているからでもある。シリア北部のクルドが自治権を得れば、当然、次のステップとして独立問題が、浮かび上がってくるが、それはトルコ東部のクルド人も一体となる、危険性が高いからだ。

しかも、アメリカはそのシリアのクルドに対し、ラッカ作戦を前に、武器の供与をおおっぴらに行っており、当初の話とは異なり、シリアのラッカ陥落後も、武器供与を継続する、と言い出している。

1000年の長きに渡って、この地に継続したオスマン帝国は終わり、ローザンヌ条約が締結され、トルコは名実ともに独立国となり、そのことについて異議を挟む、国家は存在しない。』といったエルドアン大統領の演説は、一義務を果たすものであり、感動的なものではなかったようだ。