昨年7月15日に起こったトルコのクーデターは未だに疑問が多い。そもそも、それは誰がクーデターの命令を、軍に発したのかということだ。私はクーデターが起こり、その後の状況を見ていて、これはエルドアン大統領によるものだ、と判断していた。
その根拠はいたって単純なのだが、エルドアン大統領はマルマリスのリゾート地から、クーデターが起こると自家用機で、イスタンブールに向かったことだ。通常であれば大統領、首相、国防相は一番最初に、クーデターを起こした側が、身柄の拘束をするはずなのに、彼はその危険を省みずに、イスタンブールに向かった、ということだ。
しかも、彼は自家用機でマルマリスから、イスタンブールに飛んでいるからだ。空軍の中にもクーデター派がいたはずであり、強制着陸させられるか撃墜される、危険性があったにもかかわらずだ。
しかもイスタンブールに到着すると彼は記者会見をやっているのだ。意外なことに、彼の義理の息子ベラト・エネルギー相は、終始にこやかな表情をしていたのだ。常識的に考えれば、顔が緊張のため引きつっていて、当然なはずなのだが。
クーデターが起こって直ぐ、にエルドアン大統領は『これはギュレン派によるものだ。』と主張し、1日2日すると大量逮捕を始めたのだ。これは事前に逮捕者のリストが出来ていなければ、出来ないことであろう。
さてここに来て、クーデターに関わっていたとされる二人の軍高官が、意外なことを言い出したのだ。ギョクハン・ショメザテス氏とシュクル・セイメン氏だが、彼らはクーデターの命令が、参謀本部長の事務所から、受け取っていたというのだ。
この命令を出した参謀本部長は、セミ・テルジ氏で、彼はクーデターが起こった夜に、死亡している。彼の事務所からの命令は、クーデターを起こした後、4時間は動くなというものだった、ということだ。
誰がこの4時間は動くな、という命令を出したのか、不明のままだ。そしてエルドアン大統領は拘束しても殺さずに、アンカラまで連れてくるように、という命令が出されていた、ということだ。
NATO側はこのクーデターが、エルドアン大統領自らが計画したものだ、と見ている。確かにその後の展開は、全ての反エルドアン大統領の人士が、逮捕投獄されているのだから、その通りなのかも知れない。その数は20万人前後といわれている。
エルドアン大統領の体制が、早晩打倒されることになろうが、その時点では、誰がこのクーデターを仕掛け、大量の逮捕者を出す方行に向けていき、エルドアン大統領に反対する人士を、一掃できる状況を作ったのかの、からくりが明かされよう。