数ある中東史のエピソードの中でも、最も汚い合意といわれるサイクス・ピコ条約に、中東各国からクレームが出てきている。なかでも、トルコのサイクス・ピコ条約への非難は、激しいものだ。
このサイクス・ピコ条約とは、第一次世界大戦の後、今からおよそ100年前(1916年)、イギリスとフランスとの間で、交わされた条約だが、この条約は100年が経過した今なお、中東各国の不満と怒りの、種になっている。
中東各国の間で発生する、民族問題や領土問題は、このサイクス・ピコ条約が原因に、なっているからだ。それまで、一つの国家だと思っていたのが、突然、別々の国に分割され、民族や部族が分割されてしまったからだ。
なかでも、第一次世界大戦で敗れた、オスマン帝国の版図は、イギリスとフランスの利益の前に、複雑に分割されることとなった。オスマン帝国の領土だった地域は、シリアの領土に併合され、イラクの領土に併合されもした。そればかりか、イラクやクウエイトの国境も、ヨルダンの国境も影響を受けたのだ。
トルコが現在シリアに対して、異常な関心を持ち、シリア戦争への介入を、強引に進めているのも、IS(ISIL)に対する支援を続けてきたのも、すべてはこのサイクス・ピコ条約の、影響によるのだ。
トルコはシリアに加え、イラクの戦争にも、強引に介入しようとしたが、これは今のところ、アメリカやイラクの反対で、阻止されている。もちろん、それでもトルコは間接的に、介入していることは事実だ。
トルコはシリアやイラクで起こった戦争を機に、トルコ軍をこれらの国の領土内に送り込み、そこを占領し既成事実として、将来はトルコ領土に、併合する意向を持っているのだ。
確かに、シリアのアレッポを含む北部地域は、かつてはオスマン帝国の、固有の領土であり、異論を挟む余地は無い。しかし、今ではシリアの固有の、領土となっているのだ。
同様に、イラクのエルビル(クルド自治政府の統治下にある)や、石油地帯のキルクーク、そしてイラク第二の都市モースルも、かつては、オスマン帝国の領土だったのだ。
このトルコの主張は、あながち間違いとは言えまい。第一次大戦の戦勝国が強引に分割し、それを定着させたのだから、分割された側は不満が募るのは、当たり前であろう。
このトルコのサイクス・ピコ条約へのクレームに合わせ、北イラクのクルド自治政府の、バルザーニ議長の子息マスルール氏は、アメリカのウイルソン研究所で講演し、そのなかで、サイクス・ピコ条約を再考する必要がある、と述べている。
この場合は領土問題というよりも、表向きはシンジャル地域への、PKKの侵攻に対する反対の意見だ。マスルール氏は『PKKは彼らの土地に戻るべきであり、シンジャルの自治はシンジャルの住民に任せるべきだ。そして地域住民を苦しめてきた、サイクス・ピコ条約は今こそ、再検討されるべきだ。』と語っている。
マスルール・バルザーニ氏も、間接的には領土問題を、訴えているのであろう。この地域は地下資源が、豊富であることから、どうしても、領土をめぐる問題が、発生してしまうのだ。キルクークの油田地帯の領有権が、バグダッド政府にあるのか、クルド自治政府側にあるのか、という問題もその典型の一つであろう。