エグゼクティブ・サマリー
7月15日に発生したクーデター未遂事件はトルコ史上に歴史的瞬間を刻む出来事である。国内外の双方社会が反民主的勢力による政府への介入が阻止されたことに喜びを表した。選挙で選ばれた政府に歯向かう行為の企図・実行が疑われる軍関係者は取り調べを受け、司法の手に委ねられるべきであろう。トルコ政府は法に則ったあらゆる手段を用いてこうした個々人を追及する権利を有している。
しかしながらクーデター直後にエルドアン大統領率いる政府がとった行動は、適切な捜査というより大量粛正といえるものであった。クーデターに加担したとされる軍関係者に加え、関与していない何千人もの兵士、ならびにジャーナリスト、教師、裁判官を含む何万人もの一般市民が、事件後わずか数日のうちに拘束され逮捕されたのである。
アムネスティ・インターナショナルは、収監者が暴行、拷問、強姦を含む深刻な虐待を受けている「確かな証拠」があると報告している。
エルドアン大統領はクーデター未遂を、ヒズメット運動への弾圧や、運動参加者が所有する個人財産の政府による没収を加速化させるための、千載一遇のチャンスとして利用した。また同時に対抗勢力の口を封じ、士官学校を含む軍隊組織を完全に再編するための口実としたのである。これによって軍は大統領の影響下に置かれることとなった。クーデター未遂が発生した晩、大統領はこう述べている「これは神からの贈り物だ。これでわが軍を浄化できることとなった」。
7月15日の晩、クーデター未遂の詳細が明るみに出る数時間も前、エルドアン大統領はスマートフォンを通じてCNNトルコに出演し、米ペンシルベニアで隠遁生活を送る77歳の説教師フェトフッラー・ギュレンが黒幕であると述べた。エルドアン政権の当局者が語るクーデター未遂の内容はこうである。ギュレンに共鳴する一部の軍司令官たちが、8月に開催される最高軍事評議会で自分たちが更迭されることを知り、その阻止と政府の掌握を画策してクーデターを実行に移した、と。この説はもっともらしく聞こえるかもしれないが、調査や裁判所の判決に基づくものではない。この当局が示した説には多くの疑問点が残されたままとなっており、政府は依然としてギュレンとクーデター未遂を結びつける証拠を示すことができないでいる。
米国家情報局のジェームズ・クラッパーによれば、米諜報当局もギュレンのクーデター関与を示す何らかの証拠を見出すには至っていない。
多くの独立の専門家も、ギュレンに共鳴した司令官がこの事件の立役者になったという説には客観的に見て懐疑的であるとしている。
より説得力ある説を述べる独立系観測筋も存在する。その説によれば、事件の背後にはタカ派のケマリストやネオナショナリストを含むより幅広い裾野が存在する。エルドアン大統領はこの試みを予見しており、彼の支持者がこうした勢力に打撃を与えエルドアンをヒーローとして登場させる機会に転じさせるよう動いたのだ、というのである。AKP(公正発展党)副党首シャバン・ディシリの弟メフメト・ディシリ将軍がクーデター未遂の晩に積極的な役割を果たしたことは、その他の手掛かりと合わせてこの説を裏打ちするものであろう。
粛清や権力掌握の正当化を図るトルコ政府は、人々の感情に訴える戦略や虚偽情報の拡散に打って出ているが、そのどれもが根拠に欠け論理的虚偽をきたしている。政府は自らの行為を後押しするために市民が兵士に狙い撃ちされるぞっとするような写真やビデオを流し、感情的な憤怒をあおりたてようとしているのだ。逮捕されたケマリストやネオナショナリストの司令官のことには全く触れず、当局の話と矛盾する証言はもみ消す。この虚偽情報を用いた戦略によって、軍の中のヒズメット支持者とされる者だけが反逆者に仕立て上げられてしまった。メディアはエルドアンに占有された上、このメディアが作り出した恐怖の空気と相まって、一般社会には政府談話しか届かなくなっている。このためヒズメット運動全体が中傷の対象とされ、政府の論理的虚偽の正当化につながり、運動に対するいわれのない非難がこの大量粛清を正当付けるに至っているのだ。
しかるべき手続きや適切な調査を経ずして裁判官やジャーナリスト、教師を含む何万人もの民間人を標的とするのは典型的な連座制の例である。
クーデター未遂後の粛清の犠牲者となったのはヒズメット運動関係者だけではない。リベラル、ナショナリスト、クルド人、左派そしてアレヴィー派の個人や組織も標的とされている。事件後に110以上のメディア組織が閉鎖された件に共通するのはそれがヒズメット運動系列ということではなく、エルドアン政権に批判的な人々の声だということである。逮捕されたジャーナリストの中にはリベラルもいれば左派、クルド支持者、ナショナリストも存在する。逮捕された軍人の中にはケマリストとして知られる者もいるのである。政府は2016年9月8日、テロ組織関与の疑いがあるとしてクルド人教師11,500人の停職を発表した。民主的な反対意見を封じ込めようと恐怖心を煽る空気があちこちで助長されている。
クーデター後の人権侵害や恐怖心に満ちた空気のせいで、少なくともかなりの年月に渡って真実を見出すことは不可能かもしれない。しかし7月15日の晩に起こった出来事はさておき、その直後に行われた粛清で標的とされたその大多数が一般市民であり、何万人もの家族を苦しめているのである。エルドアン大統領は全権力を支配下に収め、ニューヨークタイムズの表現を借りるなら、トルコの新たな伝説的救世主、21世紀のアタチュルクとして君臨することにクーデターを利用したのだ。
しかし事件に対する世界の反応はエルドアン大統領を失望させるものであった。各国指導者や人権監視組織はクーデター首謀者の特定や訴追の取り組みに関してはトルコ政府への結束を示したものの、政府が大量粛清を通じて一般市民を標的としたことに関しては非難を寄せたからである。こうした批判はトルコ国内の基本的人権や自由の保護に有効ではあったものの、エルドアン政権が市民社会を標的にするのを食い止めるには不十分であった。大量粛清の被害者救済に向けて、非常事態宣言の終止、法の支配の回復、収監者の待遇改善、法的な代理人と連絡をとり合う機会などを確保することが必要である。
(p9 黒い部分)=長文のである原文の9ページという意味であろう。
・今回の行動は過去のクーデターとは全く異なる様相を呈している。1960年、1971年、1980年のクーデターではまず政治家が拘束され、次にテレビ局やラジオ局を占拠し、政治家は屈辱を受け、クーデターは市民が寝静まった時間に実行された。過去の例では一般市民の犠牲者を出さないよう配慮がなされたのである。
・7月15日のケースではエルドアンもユルドゥルム首相も拘束はされず、エルドアン派のテレビ局やラジオ局が占拠されることもなく、人々がまだ起きているラッシュアワーに行動が開始され、議会は爆撃を受け一般市民が殺害された。こうした状況はクーデターの助けになるどころか損なう結果となった。