10月17日未明、イラク政府はモースル奪還作戦を開始した。イラク側の兵員数は6万人、迎え撃つIS(ISIL)側は6000人、という説と、イラク軍に加えスンニー派ミリシア、ペシュメルガなどでイラク側は総数8万人、迎え撃つIS(ISIL)側は、3000~4500人と様々だ。
いずれにしろ、約10倍の兵力が、IS(ISIL)打倒に立ちあがった、ということであり、加えて英米軍が空からの、支援を行う体制になっている。これでも、当初の目的が果たせないのであれば、英米は恥をかくことになろう。
モースル市はIS(ISIL)のトップである、アブーバクル・バグダーデイがIS(ISIL)の国家設立とカリフ宣言をした場所だけに、IS(ISIL)としては何としても、守りたいということであろう。
それだけに、モースルにいるIS(ISIL)の戦闘員は、全員が戦死することも、やぶさかではない、という大決意を抱いて、戦闘に向かうようだ。ただそうなると、一般市民の間からも相当犠牲が、出るであろうことが予測される。
モースル市は、同市が石油の街であるだけに、イラクでは二番目に人口の多いところであり、IS(ISIL)が支配するまでは、200万人だった。今では逃亡者(難民)が多数出て、120万人から150万人程度に、減っていると推測されている。
何故モースルにはこれだけの、IS(ISIL)の戦闘員が集まったのかについては、同市の住民の多くが、スンニー派であることや、シーア派との対立があったことなどが、その理由だと説明されている。
そのこともあってか、イラク軍は今回のモ-スル作戦では、外国軍を入れず、あくまでもイラク軍と警察で、攻撃する構えのようだ。それをクルド自治政府のペシュメルガ軍が支援するということだが、イラク軍はモ-スル市を、西側から攻撃し、ペシュメルガ軍は東側から、攻撃をするようだ。
もし、イラク軍がモースル攻略に成功した場合、その後にどのような統治体制を構築していくのかが、話題に上り始めている。アメリカは『モースル奪還作戦は容易ではない。』と考えているが、イラク政府は明日にでも、攻略できると考えているようだ。だからこそ、奪還後の統治についてまで、話が発展しているのであろう。
確かに、モースル市にはイラクのスンニー派国民、トルコマン国民、シーア派国民、クルド国民、そして、その他の少数派のキリスト教徒や、ヤズデイ人が居住しており、統治は困難であろう。もし失敗すれば、IS(ISIL)から奪還した後に、これらの各派の間で、新たな戦闘が展開される、危険性も否定できない。
こう考えてみると、サダムフセイン大統領の統治は、独裁であり、強権ではあったが、見上げたものだった、という感情が湧いてくる。それは、リビアのカダフィ体制も同じであろう。彼らの体制を破壊することに、どれだけの意味があったのか、と疑問が沸いてくるのは、私だけではあるまい。