トルコで7月15日にクーデターが起こった後、トルコ社会はある種の錯乱状態というか、泥酔状態に陥っていた。クーデターという言葉と、軍に対する大衆の反発が、エルドアン大統領の先導で拡大し、誰も冷静な判断ができない状態に、陥っていたのだ。
このため、エルドアン大統領が構想していた、彼の政敵である、ギュレン・グル^プに対する粛清が、スムーズに進められたのだ。その粛清は軍、検察、警察、判事、教員、官僚、ビジネスマンジャーナリストと、全ての分野で活躍する人たちが、ギュレン・グループに関与しているとして、粛清の対象となったのだ。
粛清された人たちの数は、8万人とも9万人とも、言われているのだから、尋常ではないだろう。シリアと軍事緊張を抱え、国内にPKKという、テロ組織を抱えているトルコが、軍や警察、検察に対してまで、粛清の網を広げるということは、考えようによっては、狂気の沙汰の行動であろう。誰が治安対策を進め、誰が国家を防衛するのか、分らなくなるからだ。
こうした流れのなかで、クーデターを察知できなかったことが、原因であろうか。エフカン・アラ内相が更迭され、その後任にスウイロ労働社会保障大臣が、横滑りで就任したのだ。政府はいまのところエフカン・アラ大臣の更迭の理由を説明していない。彼の場合も、ギュレン・グループとの関係が、あったのかもしれない
この人事もあってであろうか、CHPのキルチダール党首が、エルドアン大統領に噛み付いた。彼は新内相に就任したスウイロ氏はスーフィー主義者だ、という点に問題がある。しかも、彼らのスーフィー・グループは大統領府のなかで、行事を行っているということに、不満があるというのだ。
そのことは、世俗主義を歌っている、トルコ政府の立場と、矛盾するからだ。そしてCHP党首は、エルドアン大統領が企画した裁判記念式典に、欠席すると発表した。彼に言わせれば、1980年に起こった、クーデターの後にも、このような催しは、無かったというのだ。
エルドアン大統領は判事3495人を首にしており、軍の幹部の多くも更迭されるか投獄されているのだ。これでは裁判の公正も何も無いというのが、CHP党首の怒りの原因であろう
今回の裁判記念式典への、CHP党首の欠席は、クーデター後に初めて一部の人たちが、正常な思考をし始めたことを示していよう。つまり、クーデターをきっかけに生まれた、与野党間の蜜月は、終わったということだ