トルコの近代史のなかで、ケマル・アタチュルクは建国の父であり、英雄だった。トルコのいたるところに、彼の写真が飾ってあり、銅像も幾つも立っている。第一次世界大戦でオスマン帝国が崩壊した後、トルコがヨーロッパ諸国によって、寸断されるのを阻止し、今日のトルコ領土を守り、トルコ共和国を設立したのだから、当然であろう。
しかし、自分が一番偉い人物になりたい、と望んでいるエルドアン大統領にとっては、ケマル・アタチュルクは目の上のたんこぶだった。そこでケマル・アタチュルク記念公園に割り込んで、AKサライ(大統領公邸)を建設し、今日に至る。
7月15日に起こったクーデターは未遂に終わり、トルコは難を逃れられたのだが、このクーデターを機に、トルコ国内ではケマル・アタチュルクに対する、評価が下がっているのではないか。少なくともエルドアン大統領の心のなかでは、軍を叩いた自分が、一番偉くなったのだ、と思っているだろう。
アラブの新聞が今回のクーデター未遂によって、エルドアン大統領は何を得たのか、という内容の記事を掲載した。実に興味深い記事なので、要点をご紹介しよう。
:6万人にも及ぶ公務員の首を切ったが、そのなかには、軍の高官、将校も多数含まれていた。
:今回のクーデターが勃発したことにより、エルドアン大統領には、彼のためのミリシアが存在することが、明らかになった。その軍団はムスリム同胞団のメンバーだ。
:ムスリム同胞団はエルドアンを、アミール・ル・ムーミニーンとして認め、トルコをネオ・オスマン帝国と認めた。
:このネオ・オスマン帝国は、ムスリム同胞団の国家でもあり、これからは、かつてのオスマン帝国全域に、権力を拡大していくことになる。
:このネオ・オスマン帝国の誕生で、バグダーデイが唱えたIS(ISIL)による、イスラム国家は消滅することになった。
:トルコ軍の中の反対分子を一掃できた。
かつてイラクのサダム・フセイン大統領が、8年間にも及ぶ長期戦をイランと行ったが、それはシーア国家イランから、スンニー派の湾岸諸国を守る目的であった。そしていま、このトルコの新しい役割は、スンニー派の湾岸諸国を、シーア派のイランから守るための、防壁だと位置付けている。
さて、エルドアン大統領のネオ・オスマン帝国という、遠大な夢はかなうのであろうか。