日本の新聞も今年の夏は暑い、という予測なのであろうか。つい最近、ある新聞がクウエイトで54度を記録した、というニュースを流していたが、それは地球上の最高気温ではない。何事にも上には上がある、ということだ。
この前アラブの新聞に載った、世界の最高気温のニュースによれば、アフリカのマリでは、1945年に54・5度を記録している。チュニジアでも1931年に55度、アルゼンチンでは1905年に49・1度、アメリカでは1913年に56・7度、メキシコでは1966年に52度、を記録している。
北アフリカのチュニジアでは、1931年55度記録している。アルジェリアでは2002年に50.7度、リビアでは2014年に57・8度を記録している。そしてスーダンでは1967年に52・8度となっている。
パレスチナでは1942年に54度、湾岸のカタールでは2010年に50.4度、クウエイトでは2012年と2016年に、それぞれ54.1度を記録している。
パキスタンでは2010年に53.5度、オーストラリアでは1960年に50.7度、イランでは2015年に71度、サウジアラビアでは2003年に81度を記録している。そしてイラクでは2011年に53・6度を記録している。
これらの記録は、いずれも人間が生活していくには、どう考えても適さない気温なのだが、現地の人たちはどうやって、生き延びたのであろうか、と不思議になる。もちろん多数の人たちが、極暑のなかで死んでいった、というニュースも、インドやパキスタンから、伝えられてはいるのだが。
50度台は特別驚くほどの気温ではない、ということがこれらの記録から分かるのだが、サウジアラビアで記録された81度となると、とてもその状況を想像できない。車のバンパーで卵焼きが焼けるという話が、だいぶ前に伝わり驚いたが、サウジアラビアで記録された、81度ではステーキがウエルダンになるまで、焼けるということであろう。
そうした極暑を記録する地域で、生活する人たちは、それなりに工夫して、家屋を建設している。第一は3~40センチの厚い壁と小さな窓の家だ。あるいは以前にお知らせしたように、室内の空気を天井から抜く構造、あるいは、イラクの湿原にあるアシ葺きの、天井の高い家屋などがある。
それでもやはり耐えられない暑さであろう。人間はあらゆる環境に、順応する性質を、持っているとは言われるが、それでも苦痛であろう。アラブでは男性も女性も、太った人が多いが、体内に脂肪を溜め込むことによって、ある程度の抵抗力を持つように、なっているのかもしれない。そうでなければ、暑さは体表面だけではなく内臓にも至り、疾患を生み出すからだ。
日本の夏が暑いというのは、外国の人たちから言わせれば、冗談程度なのかもしれない。日本の神仏に感謝したい、と真剣に思う昨今だ。