トルコとバチカンが、1915年に起こったアルメニア人の、大量虐殺問題に対する認識をめぐって、対立している。これは、バチカンの法王の発言を元にして起こったものだが、トルコとしては一歩も引けない問題であろう。
アルメニア人虐殺問題とは、1915年当時、オスマン帝国支配の頃に、アルメニア人がオスマン帝国によって、150万人が虐殺されたというものだ。しかし、トルコ側の認識では、それほど多くのアルメニア人は、犠牲になっていないし、犠牲者の多くは、アルメニア人同士の内部対立の、結果だったというのだ。
当時、オスマン帝国側につくのか、ロシアの扇動によって、反オスマン帝国側に回るのかで、アルメニア人は対立しており、結果的にアルメニア人同士が、多数の犠牲者を生んだという認識だ。
しかし、キリスト教世界ではそうは受け止められていない、アルメニア人はアルメニア正教徒であり、同じキリスト教徒だという、同士意識があることに加え、アルメニア人のアメリカにおける宣伝活動が、効奏しているためであろうと思われる。
バチカンの法王が『虐殺』という言葉を使い、そのようなことが二度と起こってはならない、と発言したのだが、この『虐殺』という言葉が、トルコには許せなかったのであろう。
問題は、アルメニア人の虐殺が、虐殺であったか否かにあるが、それ以外に、最近ではキリスト教側に、トルコが支配している、かつて東ローマ帝国の首都であった、コンスタンチノープル(イスタンブール)を奪還しよう、という意見があることだ。
アゼルバイジャンとアルメニアの対立でも、トルコはアゼルバイジャン側を支持しており、アルメニア側にはロシア正教の国、ロシアを始めとする、キリスト教諸国が付いている。この問題では、アメリカがロシアと、共同歩調を採っているようだ。
なかでもキリスト教正教の国の、アルメニア支持は強いし、コンスタンチノープルをめぐる、奪還意見も強いのだ。ロシアはロシア正教の国であり、プーチン大統領は敬虔な、ロシア正教徒だと言われている。
最近では、あちこちからコンスタンチノープル奪還の、話が出てきているが、この話は単なる冗談とは、受け取れない部分がある、アルメニアとアゼルバイジャンとの対立では、最近、シリアのクルドがアルメニアに接近しており、アルメニアとアゼルバイジャン夫々を、支持する国が次第に鮮明に、なってきているからだ。
この問題は将来、もっと大きな問題に発展し、あるいはトルコの分割が、現実化していくかもしれない。中東地域では、将来、トルコがキリスト教徒地区と、クルド地区、そしてトルコ人地区に分割される、という話がまことしやかに、語られているのだ。
もし、そうなればコンスタンチノープルを含む、トルコ西部はキリスト教徒地区になり、中部はムスリムのトルコ地区、そして東部はクルド地区に分割される、ということになるというのだ。果たしてこの話は、単なるキリスト教徒の夢想(願望)なのか。あるいは国際政治の、将来に向けた重要なテーマなのか、関心を持って見て行きたいテーマだ。