エジプトではクリスチャン(コプト・クリスチャン)もムスリムも、異教徒同士の結婚は認められていない。しかし、若者の間に恋が芽生えることは、ごく自然なことであり、ムスリムの青年が、クリスチャンの女性を愛したり、その逆であることは、起こりやすい。
今回はクリスチャンの青年が、ムスリムの女性と交際したことが、大問題になった。特にムスリムの女性が、クリスチャンによって、虜にされるということは、ムスリムには許させないことなのだ。自分たちのムスリム女性が、クリスチャンによって奪われた、という被害者意識が、拡大するからだ。
結果はクリスチャンの青年の母が裸にされ、市内を歩かせられる、という事態に発展し、加えて、300人のムスリムの若者が、松明を持って行進し、クリスチャンの家が7軒も、放火されたのだ。 これに対抗して、クリスチャンもムスリムの家3軒に、放火している。
クリスチャンの家族は、身の危険を感じて、現地の警察に保護を求めている が、どこまで守ってくれるかは、保証の限りではない。なぜならば、警察のほとんどはムスリムであり、ムスリムの住民の考えに、迎合する傾向が強いからだ。
これまで、エジプトでは何百回となく、ムスリムとクリスチャンとの、衝突事件が起きてきた。そしてその度に、クリスチャンの方が、より大きなダメージを、受けてきている。それは、ムスリムとクリスチャンとの、人口比から来ているのであろう。
国家の権力層も、ムスリムがほとんどであり、クリスチャンの閣僚などは、対外的な見世物として、その地位を与えられているに過ぎず、実権はほとんどない。世界的に知られている、国連事務総長経験者のガーリ氏は、外務担当国務大臣だったが、正式な外務大臣には、なれなかったのだ。
エジプトでは、コプト教徒クリスチャンが、正式な大臣職に就任できるようになったのは、ムバーラク大統領の時代であろう。それは彼の妻が、コプト教徒クリスチャンであったからであろう。
日本ではあまり聞いたことがないが、外国では宗教が違うと、全く別世界の住民同士、ということになり、外国人よりも嫌悪する場合がある。それは他宗教徒が隣人同士であることから、日常的に摩擦が起こるからであろう。