トルコのエーゲ海に面した街に、イズミールというところがある。ここは昔住民のほとんどが、ギリシャ人だった街であり、歴史的な経緯から、トルコというよりは、ヨーロッパの雰囲気のほうが増している。
しゃれたカフェやレストランが沢山あり、魚介類の料理は抜群にうまい。ここには友人の経営する、オリーブを始めとする、食用油の工場がある。彼の会社は地中海周辺では、最大の規模だと聞いた。
ムール貝に貝の味と米を混ぜてつめ、それを特別のスープで、煮込んだ料理は実にうまい。バケツ一杯買ってきて、それを仲間でほうばるのだ。
今回、トルコのフッリエト紙は、イズミールに関する記事を掲載したが、それを読んでいると、第二の人生を、そこで過ごしたい気分になる。時間の経過はゆっくりであり、首都のアンカラのような、階級社会ではないし、イスタンブールのような、競争社会でもない。
夕暮れの海岸と海の景色は抜群であり、そこでワインを飲みなが、友人と語るのもいいだろう。女性は押しなべて美人であり、彼女らは皆ヨガを習ったりスポーツ・ジムに通って、しなやかなスタイルを維持している。
イズミールの不動産価格は、上昇してはいるが、まだアンカラの半額でしかない。そこの住民の感覚は、EUの住民と似ている。友人を作り、セレブな生活を楽しめる。
ボートの話を友人たちとし、仕事の話などする野暮な奴はいない。エーゲ海の海岸に育成するハーブは、貴方(貴女)の永遠の若さを、保ってくれる。
この記事には、いろいろな意味が、込められているのではないかと思われる。ビジネスの中心都市イスタンブールも、政治の中心地であるアンカラも、いずれも神経を使う街であり、そこで戦う者たちの神経は、ぼろぼろになっているのではないか。
そうした現状のなかで生きている人たちに、心の休まる場所として、イズミールを紹介したのであろうか。過大な推測をすれば、それはエルドアン大統領とその体制に対する、ソフトな批判なのかもしれない。
イズミールを訪問した折に、友人が午後にクルーザーを仕立ててくれ、料理と船旅とベリーダンスを、楽しんだ思い出がある。夜には陸上のガーデン・レストランで、ダイニング・パーテイを開いてくれた。心地よい海風がやわらかく頬をなでてくれる、すばらしい夕食会だった。
日本には心安らぐ場所があるのだろうか、とふと考えてしまった。それは私が有産者階級では、ないからなのかもしれないが。