『カイロ一杯の紅茶で死亡』

2016年4月20日

 

 実にばかげた話だが、同時に悲劇でもある。事件はカイロの中流階級の、居住区で起こった。喫茶店の主人が何時も、代金を支払わずに出ていく警官に対して、お茶のサービスを断った。

 それが事件の発端だった。警官は激怒し喫茶店の主人を、撃ち殺したのだ。銃弾は主人の胸に命中し、即死だった。この光景を見ていた、周囲の人たちは激怒し、警官の車を横転させ『警官は暴漢だ』と叫び始めた。

 警官の同僚二人は慌てて、その場から逃げ出したが、射殺した警官は逮捕された。まずいことに、この一部始終が多分、携帯電話によってであろうが、撮影されていた。そして、その映像はたちまち、内外の報道機関や市民に流された。

 エジプトの内務大臣は『多くの警官は職務をまじめに実行している。』と他の警官を擁護する発言をしているが、逃亡した2人の同僚警官には、逮捕状が出されている。

 たった一杯のお茶で、何故、殺人事件が起こるのであろうか。これにはそれなりの、理由がある。エジプトも官と名の付く、職業に従事する者が高位にあり、給与の安いヒラ警官などの間では、たかりの精神がはびこっている。紅茶一杯ぐらい、サービスしたっていいじゃないか、という感覚がはびこっており、無銭飲食はごく普通に、見られる光景なのだ

 もう一つは、カイロの気候が高温の夏場に、入っていることもあろう。日陰で一杯の紅茶を飲みたい、と警官が考えても、不思議はない。しかし、彼らは薄給であり、紅茶代にすら事欠く始末なのだ。

 エジプトでは大学教授の給料が安いために、タクシー運転手をしたり、翻訳や観光者の通訳をやるのは、当たり前な社会だから、ヒラの警官の生活状態は、もっと厳しかろう。 

もちろん、喫茶店の主人を射殺した警官を、擁護する気はないが、そうした悲劇の原因は、警官の薄給が根底にあること、社会風土がたかりの精神であることに、起因しているのであろう。

日本の公務員の場合は、生涯収入で考えた場合、その逆なのかもしれない。ということは、日本人は警官に銃で撃たれる心配は、無いということか。笑い話のようだが。