極めて珍しい、サウジアラビアのサルマン国王の、エジプト訪問が実現した。訪問時には、幾つもの経済協力合意が交わされ、サルマン国王はエジプト議会で演説もした。まさに、両国の新しい時代の関係が明らかになり、確実なものになった、ということであろう。
ただ、このサウジアラビア国王のエジプト訪問時には、エジプト国民やアラブの大衆にとって、受け入れ難い合意もあった。それは、エジプトがチラン海峡の二つの島の領有権を、サウジアラビア側に渡した、ということだ。
この二つの島の名前はサナーフィル島で、シナイ半島の南東部先端と、サウジアラビアの領土、つまり、アラビア半島との間にある島だ。この島は1956年に起こった、第二次中東戦争時には、エジプト軍が死守した島なのだ。
アカバ、エイラート両港から、紅海に繋がる、チラン海峡に位置する島であるだけに、戦略的には極めて重要であることは、誰にも分かろう。
エジプト政府の幹部は、この島の帰属についての合意は、既に、6年の歳月を費やし、11回の協議がサウジアラビアとの間で、行われた結果だ、と説明している。つまり、十分に話し合われた結果だ、と言いたいのであろう。
しかし、エジプト国民の間には、サウジアラビアが示した、巨額の援助と経済協力と交換に、シーシ大統領は二つの島を手放した、と見る者が多いようだ。彼らは『モルシーが売り渡したのであれば、それはエジプトの物とみなすことが出来るが、シーシが売り渡したのでは、サウジアラビアの物と思わざるを得ない。』とコメントしている。
モルシーに対する大統領としての重みと、シーシとでは桁外れに違い、シーシ大統領の交わした合意は、簡単には変更できない、ということであろうか。
サウジアラビアの若者が書いたツイッターには『チランとサナーフィル島はエジプトのものだ。』というものもあった。それは、イスラエルがすぐそばに位置していることから、何時でもイスラエルによって、奪われる危険性がある、ということであろう。
チラン海峡の出口の島を、アラブが押さえているか、イスラエルが奪うか、ということは、戦略的に考えると、決定的な重みを、持っているのだ。1956年に起こった、第二次中東戦争時には、エジプト側がチラン海峡を封鎖し、イスラエル側への物資の流れを、止めることが出来ていたのだ。
そのため、専門家の間からは『今回のエジプトとサウジアラビアとの間で交わされた、サナーフィル島に関する領有権の合意問題は、憲法に抵触するし、エジプトの主権を侵すものだ。』と批判している。今後この問題が、シーシ大統領に対する評価に、どう影響していくのか、エジプト社会はこの問題で混乱しないのか、注視する必要がありそうだ。