サウジアラビアのサルマン国王がエジプトを訪問し、経済を中心に協力関係を討議した。もちろん軍事や外交も話し合われているのだが、どうしても目立つのは、経済協力関係の前進だ。
サウジアラビアの持てる富の一部を、エジプト送ることによって、エジプトがいま直面している経済苦から、解放されるという期待があるからだ。実際にサウジアラビアは、今回の国王訪問時に、多くの援助を決めている。
サウジアラビアがエジプト側と合意した、経済協力は以下のようなものだ。
:220億ドル分の石油供給を今後5年間行う
:150億ドルのローン、キング・サルマン大学設立
:1・2億ドルのカスル・アイニ病院改善支援
:1億ドルの西カイロ発電所改善支援
:330億ドルのスエズ運河沿岸開発への投資
これだけの大盤振る舞いの、サウジアラビアからの経済援助に対して、エジプトも応分の見返りを、出す必要があったのであろう。そこでシーシ大統領は思い切って、アカバ湾の出口にある戦略的に、非常に重要な2島の領有権は、サウジアラビア側にあると認め、合意した。
しかし、このことはエジプト国民の多くに、屈辱感を抱かせたようだ。『エジプトは金で2島を売ったのか!!』という声が、専門家や政治家、一般国民民の間で広がっている。運が悪ければこの問題が拡大し、再度の革命に繋がらないとも、限らないのだ。
社会党の政治家は『こうした重要な問題は国内で、十分に討議した後で、決めるべきだ。合意の前に何故政府は、そのことを国民に伝えなかったのか。これは憲法151条に抵触する。』と非難している。
また、ある政治家は『エジプトの国境は確固たるものであり、固定している。それを経済的な理由で、変更することは許されない。』と非難している。
また、ある専門家は『国境問題は国民にはかり、議会で討議して決められるべき問題だ。』と主張している。
また『歴史的にも2島はエジプトのものであり、それをエジプトは防衛してきている。』と語っている。歴史的にはサウジアラビアのものであり、1956年の第二次中東戦争時に、サウジアラビアがエジプトに対して、不安から防衛を依頼した、といわれてもいる。しかし、この島を命がけで守ったのは、エジプト兵だということも事実だ。
チラン島とサナーフィル島の帰結問題は、これから熱くなっていくのではないか。もしそうならなければ、エジプト人のエネルギーはアラブの春革命で、使い果たしたということになるのであろうか。