中東の20世紀をにぎわした人物は少なく無かろう、各国の大統領や国王たちがその代表格であろう。ヨルダンのフセイン国王、シリアのアサド大統領、リビアのカダフィ大佐にイラクのサダム・フセイン大統領、彼らは皆個性の強い人物たちであり、世界のマスコミを賑せもした。
しかし、国家元首とは異なり、ワン・ステップ引いた立場ではあるが、決して軽んじることのできない人たちがいた。エジプトからは二人の、まさに巨星が登場している。最近、その二人が揃って亡くなった。
マスコミ界を代表したムハンマド・ハサネイン・ヘイカル氏がそれであり、彼のアラブ・マスコミ界に与えた影響は大きかった。彼はアラブ人ジャーナリストたちにとっては巨匠であり、学ぶべき対象であったろう。
ヘイカル氏が一躍有名になったのは、彼がアブドンナーセル大統領のスピーチ・ライターになったことによろう。アラブ各国の大衆を興奮させた、ナセル大統領のスピーチ原稿は、彼によって書かれていたのだ。
その後、ヘイカル氏は情報大臣にも就任している、つまり単なるジャーナリストではなく、政策立案者でもあった、ということだ。当然のことながらヘイカル氏はナセル大統領の死後も、大きな影響力を後任のサダト大統領や、ムバーラク大統領に対して、持っていたようだ。
エジプトが生んだもう一人の巨星は、ボトロス・ボトロス・ガーリ元国連事務総長であろう。彼はエジプトのコプト・キリスト教徒の一人、つまりマイノリテイとして登場するのだが、外務担当国務大臣当時、イスラエルとの和平交渉を進めたことで、評価が固まった。
その功績もあり、彼は国連事務総長に、就任したといわれている。アラブとイスラエルとの戦争状態が、長期に渡って来ていただけに、彼に対する評価は、当然であったろう。
彼は大の日本贔屓であったことでも、知られている。ガーリ氏は日本を訪問すると、明治神宮を参拝していたといわれているし、それ以外にも、日本各地の神社を訪問していた、とも伝えられている。
ガーリ氏は日本のなかに、世界平和の雛形を、見出していたのではなかろうか。日本に学び、日本を研究することによって、世界全体を平和の方向に向けて行きたい、と思っていたのではないか。
エジプトの中にあって、コプト・キリスト教徒はマイノリテイであり、世界のなかでは日本もマイノリテイだ。そのコプト・キリスト教徒がエジプトという大国の中で、どう生きていくのかを、日本から学んでいたのかもしれない。