『スンニー派とシーア派とは何が違うのか』

2016年1月 5日

 

 世界的に有名なインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙が『スンニーとシーアどう違うのか』という記事を掲載した。イランで1979年に起こったイラン革命は、シーア派教徒の爆発だったが、あまりシーア派に対しては、学んでいなかったのであろうか。

 その後、世界的に知られるようになった、レバノンのヘズブラも同じシーア派であり、ここでもシーア派についての学習が、あまりなかったようだ。世の中は上辺だけで通り過ぎ、分かったつもりになる人たちが、多いのかもしれない。

 そうした背景から、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙はイスラムの、この二つの宗派についての、特集記事を掲載したのであろう。

 そもそも、スンニー派が起こったのは、預言者ムハンマドの、話したり行ったことを、真似て生きていこうとする考えであり、スンニーとは預言者ムハンマドのスンナ(振る舞い)を意味している。

 他方、シーア派は第4代カリフ(預言者ムハンマドの後継者の意味)の、アリーの言動を真似るという意味合いで、命名されたものだ。シーアト・アリーと呼ばれ、これはアリーの足跡とでも訳すのが適当であろう。

 スンニー派は預言者ムハンマドが、後継者を指名しないで亡くなったため、イスラム教徒の幹部の間で話し合われ、預言者ムハンマドが最も信頼していた、アブー・バクルが選出された。

 アブー・バクルには預言者ムハンマドが付けた、スイッデーク(信頼できる)という名前の称号があり、通常はアブー・バクル・スイッデークと呼ばれていた。

 彼の後に、スンニー派のカリフとなったのはオマルであり、その後はオスマンが就任している。そして、やっと預言者ムハンマドの娘婿、アリーが4代目のカリフに就任した。しかし、彼に敵対する者は多く、最終的には殺害されている。

 そして彼の息子ハサンとフセインも、同じようにスンニー派によって殺害された。その悲しみを思い起こさせるのがアーシューラの祭りでありシーア派の人たちは自分の体に刃物を立て、殴り二人の息子の死を惜しんでいる。 

 シーア派の人たちにすれば、預言者ムハンマドの後継となるべきなのは、血縁関係にある人物だとし、アリーに続く子息たちこそが、カリフだと考えている。

 シーア派ではアリーに始まる、リーダー(イマーム)たちを12人まで数え、グループは12イマーム派と呼ばれている。他には、7イマーム派などがある。基本的にはコーランの啓示が、アリーに下ろされるべきものを、ムハンマドが受けたという違いはあるが、コーランそのものや、イスラム教の教えはほとんど同じだ。