シリアの首都ダマスカスに近いところに、パレスチナの難民が住んでいる、ヤルムーク・キャンプがある。そこは多数のパレスチナ人が住んでいたのだが、シリアの内戦が始まって以来、彼らは苦しい状況に追い込まれていた。
このヤルムーク・キャンプにイスラム原理主義で、アルカーイダの支部組織ヌスラが入り込み、状況は一変した。ヌスラは難民キャンプの住民に対して、彼ら流のイスラムを押し付け始めたのだ。
続いて、IS(ISIL)が入ってくると、状況はますます悪化した。当初はパレスチナ人のミリシアが抵抗し、武力闘争を展開したのだが、IS(ISIL)には勝てなかった。結果的に、ヤルムーク・キャンプは、IS(ISIL)の支配下に置かれた。
このため、ヤルムーク・キャンプのパレスチナ人難民に対する、国連機関の支援が届けられなくなった。まさに餓死寸前の状態に、パレスチナ難民たちは置かれた、ということだ。
その後、ロシアの参戦もあり、シリア軍が次第に強化されたことにより、ヤルムーク・キャンプの状況に変化が生まれ、それまで包囲する側だった、IS(ISIL)が逆に包囲される側に、立たされることとなった。
そして遂に、12月の24日を過ぎることには、ヤルムーク・キャンプからIS(ISIL)の負傷した戦闘員や家族を、脱出させる合意が生まれた。国連の仲介により、安全なうちにIS(ISIL)をヤルムーク・キャンプから、脱出させることが決まり、それが始まったのだ。
ヤルムーク・キャンプだけではなく、その近くのアルカダム、ハジャル・アスワド・キャンプからもIS(ISIL)は逃れることになった。しかし、問題は彼らがどこに逃れるか、ということだ。
IS(ISIL)が首都と宣言していた、シリアのラッカは既に崩壊しているので、そこには行けまい。ラッカからすらIS(ISIL)のメンバーは逃れ、イラクのモースルに、向かっているのだ。
しかし、このイラクのモースルすら、危険な状態になっており、イラク軍によって奪還されるのは、時間の問題であろう。そうなればIS(ISIL)のメンバーや家族が行く先は、リビアかアフガニスタンということになろう。
リビアでは国民合意ができつつあり、今後IS(ISIL)が優位に立つことはありそうにない。そうであるならば、行先はアフガニスタンということになるが、そこも安住の地ではあるまい。まさにIS(ISIL)の落日が、近づいているということであろう。