『落日のISヤルムーク・キャンプを去る』

2015年12月25日

 

 シリアの首都ダマスカスに近いところに、パレスチナの難民が住んでいる、ヤルムーク・キャンプがある。そこは多数のパレスチナ人が住んでいたのだが、シリアの内戦が始まって以来、彼らは苦しい状況に追い込まれていた。

 このヤルムーク・キャンプにイスラム原理主義で、アルカーイダの支部組織ヌスラが入り込み、状況は一変した。ヌスラは難民キャンプの住民に対して、彼ら流のイスラムを押し付け始めたのだ。

 続いて、IS(ISIL)が入ってくると、状況はますます悪化した。当初はパレスチナ人のミリシアが抵抗し、武力闘争を展開したのだが、ISISIL)には勝てなかった。結果的に、ヤルムーク・キャンプは、ISISIL)の支配下に置かれた。

 このため、ヤルムーク・キャンプのパレスチナ人難民に対する、国連機関の支援が届けられなくなった。まさに餓死寸前の状態に、パレスチナ難民たちは置かれた、ということだ。

 その後、ロシアの参戦もあり、シリア軍が次第に強化されたことにより、ヤルムーク・キャンプの状況に変化が生まれ、それまで包囲する側だった、ISISIL)が逆に包囲される側に、立たされることとなった。

 そして遂に、12月の24日を過ぎることには、ヤルムーク・キャンプからISISIL)の負傷した戦闘員や家族を、脱出させる合意が生まれた。国連の仲介により、安全なうちにISISIL)をヤルムーク・キャンプから、脱出させることが決まり、それが始まったのだ。

 ヤルムーク・キャンプだけではなく、その近くのアルカダム、ハジャル・アスワド・キャンプからもISISIL)は逃れることになった。しかし、問題は彼らがどこに逃れるか、ということだ。

 ISISIL)が首都と宣言していた、シリアのラッカは既に崩壊しているので、そこには行けまい。ラッカからすらISISIL)のメンバーは逃れ、イラクのモースルに、向かっているのだ。

 しかし、このイラクのモースルすら、危険な状態になっており、イラク軍によって奪還されるのは、時間の問題であろう。そうなればISISIL)のメンバーや家族が行く先は、リビアかアフガニスタンということになろう。

 リビアでは国民合意ができつつあり、今後ISISIL)が優位に立つことはありそうにない。そうであるならば、行先はアフガニスタンということになるが、そこも安住の地ではあるまい。まさにISISIL)の落日が、近づいているということであろう。