『イギリスの執念深さか?計算か?』

2015年11月24日

 

 イギリス政府が30年前に、ロンドンで起こった事件の、犯人を逮捕した。これは、1984417日にロンドンの、ジェイムズ・スクエアーに近い、リビア大使館からの発砲で、ロンドン市警の婦人警官(イボンヌ・フレッチャー当時25)が、銃殺されるという出来事だった。

 犯人はサーレハ・イブラーヒームという人物であり、彼は事件後に、教育大臣に就任している。そして、科学アカデミーを設立し、イギリスの幾つかの大学と、活発に交流していた。つまり、リビアはイギリスを丸め込むために、これらの大学に対して、研究資金を提供していた、ということであろう。

また、彼はリビア革命ののち革命委員会結成にも、一役買っていた人物だ。彼の出身部族はバニー・ワリード族(ワルファッラ)という、リビアの有力部族だ。なお彼は現在50代の年齢に達している。

カダフィ打倒の革命後、彼はチュニジアを経由して、イギリスに2001年に政治亡命しているが、彼がイギリスに戻れたのは、2000年にイギリス政府が入国禁止を、解いていたからだ。

カダフィ打倒革命から、既に6年以上が経過しているが、サーレハ・イブラーヒームは何故いままで、逮捕されないで、ロンドンに住み続けて、いられたのであろうか。そして、何故いまの段階で、逮捕されたのであろうか。

カダフィ大佐の体制が打倒され、新しい政権が出来上がるなかで、旧カダフィ体制に関する、秘密資料が出てきて、当時、リビア大使館内部から発砲したのが、誰であったのかが明らかになったからだ、といえば説明は付こう。

この逮捕劇の裏には、リビアの国内状況の変化が、影響しているのではないかと思えてならない。つまり、リビアの混乱状態は近く収束し、リビアの富の分配が始まる、ということではないのか。

現在、リビアの内乱に最も強い関心を寄せているのは、アメリカであり、フランスであり、国連だ。そこにイギリスも、加わるということであろう。イギリスはかつて、リビアがイドリス国王統治の時代に、アメリカと二分して、リビアの東部を影響下に置いていた、という歴史的経緯がある。

リビアは腐っても鯛、良質の石油を産出し、欧米の市場にも近い国だけに、イギリスは放置できない、ということであろう。そのイギリスがいまの段階で、30年も前の婦人警官殺害事件を、持ち出してきたのは、リビアの内戦が近く収束する方向にある、そのために頭角を現して来たのではないのか。

いずれにしろ、リビアの内戦が収束してくれることを、願って止まない。