エルドアン大統領はクルド問題の解決が、国の将来を決める、と思ったのであろう。このため、彼にクルド問題の解決ができれば、彼はトルコ史に名前を残すことが出来る、と考えたのかもしれない。
同時に、クルド問題に解決の糸口を見出すことができれば、エルドアン大統領に対する支持が拡大し、彼の政党であるAKPは、単独で政権を担い続けることができる、とも考えたのであろう。
そうした思惑から、エルドアン大統領はイムラル島に収監している、PKKのアブドッラー・オジャラン議長との、交渉を始めた。それは簡単に言ってしまえば、クルドが多く住むトルコの南東部を、一定の自治地域にしよう、というものであった。
しかし、エルドアン大統領側が手綱を緩めると、PKK側は次の戦いへの準備を、進めたのだ。戦闘員を集め、訓練を施し、資金を集め、武器をそろえ、組織を強化していたのだ。
トルコ南東部の市長たちの多くは、クルド人であったことも、エルドアン大統領の目算を、狂わせたのかもしれない。彼らクルド人市長たちは、PKKとの協力関係を強めていったのだ。例えば、軍が治安目的で展開しようとしても、クルド人市長たちはそれを、簡単には認めなかったのだ。
そして、6月7日の選挙ではクルド人が団結して、クルドの政党HDPに投票し、多くの国会議員を生み出すことに成功した。その反対に、AKPの議員が落選し、AKPは単独政権を維持することが、出来なくなった。
エルドアン大統領はこのことを踏まえ、7月22日以後、クルド人やPKKに対する対応を厳しくした。しかし、それは時すでに遅し、ということであろう。クルドの政党HDPは、トルコ国内のほとんどのクルド人を、抱え込むことに、成功したようだ。
最近になって、エルドアン大統領は地方政府の幹部が悪いとか、政府の官僚が悪い、という非難を始めているが、それは彼自身に、責任があるのだ。そうした中で、エルドアン大統領が考えた、対クルド対策は、11月1日に予定されている選挙で、トルコ南東部は危険だから、既定の投票から別の投票所に変更する、というものだった。
しかし、このエルドアン大統領の発言に対し、HDPのデミルタシュ党首は、バスで送迎するので、投票所が変更になっても、影響されないと反論した。それはその通りであろう。もし、エルドアン大統領がその投票者の、送迎バスを襲撃させるようなことになれば、世界中が彼を非難することになろう。