『イスラエルは3度イラン核施設攻撃を計画』

2015年8月23日

 

 イランとエジプトそしてサウジアラビア系のネットが、イスラエルのイラン核施設に対する、攻撃計画があったことを報じた。

 しかし、イランの核施設に対する攻撃は、計画だけであり、イスラエルはイランの核施設を攻撃したわけではなかったので、問題は無いと言えば、それだけの話になるのだが、そうばかりも言っていられない。

 この話が明らかになった段階で、計画されていた頃に、攻撃反対に回った要人たちのコメントが、気になるのだ。まずこのイランの核施設に対する攻撃が、何時計画されていたのかについて書こう。

 最初に計画されたのは2010年だった。しかし、当時参謀長だったガビ・アシケナジ氏が、軍の準備が不十分だとして反対し、実施されなかった。

 次にイランの核施設に対する、攻撃が計画されたのは2011年だった。このときは二人の閣僚が反対に回った。二人は国務大臣で一人はユヴァル・ステイニツ氏、もう一人はモシェ・ヤアロン氏だった。

 そして、三度目の計画は2012年に立てられたのだが、タイミングが悪く取り止めになった。それはちょうどイスラエルとアメリカが合同軍事演習をする時期だったからだ。

 さて、日本でなら攻撃反対に回った人たちは極めて冷静で堅実な人物、という評価を下されるのだがイスラエルではどうもそうではないようだ。ユヴァル・ステイニツ氏はこの計画に反対したことへのコメントを求められると、『ノーコメント』とコメントをすることを、拒否しているし、モシェ・ヤアロン氏もやはり、ノーコメントなのだ。

 つまり、イスラエル国内にはイランの核施設を、出来るだけ早い段階で攻撃すべきだった、という意見が少なくない、ということであろう。そのために、両者はコメントを、控えたものと思われる。

 イスラエルはこれまで何度も、イラン攻撃を計画したのだが、実施されなかったのは、やはり相当の反撃をイランから受けることを、覚悟しなければならなかったからではないか。

 イランの核施設が地下にあり、相当な深度であることから、攻撃はきわめて難しいといわれている。特殊なミサイルを同じ場所に連続して撃ち込まなければ、施設に到達でき無いだろう、と言われている。

 また、核施設がイランの各地に散在しており、その全てを破壊することは、到底無理な話なのだ。今回の攻撃暴露発言は、イスラエルがイランの核開発に強い不安を抱いている、ということを世界にアピールすることが目的であろう。