1ヶ月のラマダン(断食)が開け、7月17日はイードルフィトルという、断食明けのお祭りの日だった。イスラム諸国ではこの日から、短くて3日、長いところでは1週間の休日となる。
このため、アラブの新聞のサイトを見てみると、これと言っためぼしい記事は出ていない。イスラエルのサイトですらそうなのだから、いま中東はお休みムードが広がっているのだろう。例外はイエメンに対する、サウジアラビアの攻撃なのかも知れない。
そうしたなかで、興味がある記事が掲載されたのは、サウジアラビアのアルハヤート紙だった。それはクルド人学者が、イブン・ハルドーン(欧州で起こった社会学の、元になった彼の歴史序説は著名)よりも前に、アラブ世界の社会状況を調べ、本に書いていたことを紹介していた。
その学者の名前はイブン・ファドルッラー・オマルでイブン・ハルドーンより100年先駆けて、アラブ社会の研究をしていたということだ。彼はアラブ諸国を訪問し、その社会状況や権力国家の形などに関する、調査をしていたのだ。
彼の苗字のオマルは、アラブの大英雄であるオマル・イブン・ハッターブの家系に、繋がるからだとい言うことだ。彼はダマスカスで初等教育を受けた後、カイロに行きそこで、イスラム法(シャリーア)やアラビア語法などを学んでいる。彼の書き残した本の数は少なくないようだ。
そのなかには、アラブ世界の地理、歴史、クルドの歴史なども、含まれている。こうしたイブン・ファドラッラー・オマルの業績を掘り起こして紹介したのは、サウジアラビアのアルハヤート紙で15年前に遡るそうだ。
彼イブン・ファドラッラー・オマルによれば、クルド人は独立した民族であり、アラブとは異なるという結論だ。彼らは優秀でありかつ勇敢であったために、アラブの諸王たちは重用していたということだ。
そして、クルド人はトルコのアナトリアのマルデンから、シリア、そしてイラクのチグリス川ユーフラテス川に到り、イランのハマダーン、シャハルズールまで、広がっていたということだ。
これまでに一般的に知られている、クルド国家の成立は、1920年代のクルド王国(1922~24年)と、1946年に樹立されたが1年足らずで消えた、クルド共和国がある。
今のこの時期にイブン・ファドルッラー・オマルという人物が、紹介されているのには、何らかの意味があるのではなかろうか。もちろんイブン・ファドルッラー・オマルのことはクルド人の多くが知っていよう。
そうだとすれば、彼が記したクルド人の居住範囲が,将来のクルド国家の領域にしたい、とクルド人たちは考えているのかもしれない。