2013年12月はトルコの政界が震撼した時期だ。閣僚とその家族の金に絡んだスキャンダルが、国民の知るところとなり、トルコ国内は騒然としていた。その汚職者のリストのなかには、エルドアン大統領(当時首相)も、彼の子息ビラールも含まれていた。
結果的には、エルドアンン大統領が強権を発動し、このスキャンダル事件は、ギュレン氏とそのヒズメトが仕掛けたものだと主張し、トルコは二つの政府によって動かされているとして、多くの検察・警察が左遷され、かつ首になっている。弁護士や裁判官も、この更迭の対象になった。
この騒動のなかで、当時外相を務めていたダウトール首相が、秘かにエルドアン大統領の政敵である、ギュレン氏を訪問していたことが、最近広く知られるようになってきた。
ダウトール首相は学者上がりであることから、国内の騒乱にどう対応すべきか、大きな不安を抱いていたのかもしれない。ダウト-ル首相の説明によれば、その頃、国連会議にギュル大統領と出席していて、ギュル大統領(当時)の許可を得て、訪問したということだ。しかも、ダウトール首相は訪問前も訪問後も、ギュル大統領にその報告をしている、と語っている。
しかし、ギュル大統領はそうした連絡は、ダウトール首相から受けていなかった、ということだ。つまり、ギュル大統領の説明では、ダウトール首相が個人的な意向で、ギュレン氏に会いに行った、ということになる。
このギュレン氏訪問時には、ダウトール首相とギュレン氏との間で、トルコ問題ではなく、もっぱらシリア問題について意見交換されたということだ。ダウトール首相はこの機会に、ギュレン氏に対し、トルコに帰国するよう提案したが、ギュレン氏はまだその時期ではない、と答えたということだ。
後日、ダウトール首相は、多分ギュレン氏はイランのホメイニのように、国内混乱のかなで、英雄的にトルコ国民から迎えられる時期を、考えていたのであろう、と語っている。しかし、それはありえまい、あくまでもダウトール首相が、自己弁護に考え付いた、屁理屈であろう。このギュレン・ホメイニ説は、彼があわてて作り出した、嘘の説明であろう。
さて、問題は何故この2年も前の、ダウトール首相のギュレン訪問が、いま取り沙汰されているのであろうか。多分に6月7日の選挙向けの動きではないかと思われる。
ダウトール首相もギュル大統領も、それぞれにエルドアン大統領とは別に、政党を結成するか、党を離れて政治行動する、という噂が流れている。そうしたなかで、ダウトール首相はギュレン派の抱きこみを考え、ギュレン氏に会っていたことを、明らかにしたのかも知れない。しかし、それはギュル大統領の許可の下であったとしなければ、ダウトール首相の今後に、問題が発生するからではないのか。
ギュル大統領はダウト-ル首相の、不安が行わせた軽挙について、支援を送る必要は無いと考えて、知らなかった、と発言したのではないか。
実は最近でも、ギュレン師の下には、トルコ政府の高官が、秘かに訪問している。彼らがエルドアン大統領の密使なのか、あるいは個人的な選挙対策で、訪問したのかについては知らない。
少なくとも、ギュレン氏を訪問した、という情報がトルコ国内で流れれば、彼はギュレン派(ヒズメト)のメンバーを、取り込める可能性はあろう。全ては選挙がらみなのであろうか。それにしても、このギュレン氏という人物の、トルコ国民への浸透力と、影響力は侮れない。