『イラクでIS(ISIL)へのスンニー支援は消えた』

2015年4月28日

 

 これまでIS(ISIL)の怒涛の進軍はなぜ可能だったのか、ということが何度も話題に上っている。それはIS(ISIL)が斬首を含む、過激な行為を行い、敵を恐怖に貶めているからだ、という説明がなされていた。

 また、ある者はIS(ISIL)が宣伝にたけているために、支持者が増え外国から戦闘員が、続々と参加しているためだ、とも説明差されていた。確かにどう見ても、プロの制作したものであろう、ビデオ映像などを見ていると、IS(ISIL)の内部には、いろんなプロがいることが、想像できる。

 しかし、それだけではあるまい。IS(ISIL)の怒涛の進軍を可能にしたのは、イラクの場合を例にとると、シーア派のマリキ―政権がシーア派国民に対し、優遇措置をとってきたことに対する、イラクのスンニー派国民の反発があったからであろう。

 これまで何度も書いてきたが、こうした事情からスンニー派国民が、IS(ISIL)の活動を黙認するか、あるいはIS(ISIL)への参加という形で、戦闘を有利にしてきていたのだ。しかし、その後のIS(ISIL)の占領地住民に対する対応がまずく、IS(ISIL)が占領したイラクのスンニー派地域では、IS(ISIL)に対する反発が広がった。

 彼ら独自のイスラム法(シャリーア)解釈がまかり通り、女性の扱いが悪く、どう見ても野盗集団のような行動が、地元住民の反発を買ったのだ。

 結果的に、イラク国民の多くはシーア、スンニーの別なく、またクルド、アラブの別なく、IS(ISIL)に対して立ち上がってきている。イラクのアバデイ首相は『イラクのスンニー派国民で、IS(ISIL)を支援する者はいない。』と語ったのは、そうした状況を踏まえてのことであろう。

 こうなると、IS(ISIL)は今後苦しい戦闘を、強いられることになろう。そして、それはシリアにも広がり、最終的にはIS(ISIL)の居場所が、両国のなかに無くなる、ということではないのか。

 過去の歴史のなかで、非人道的な勢力が、長期間にわたって住民を支配した、ということはほとんど聞かない。カンボジアのポルポト政権もしかりだったと思う。結果的に、IS(ISIL)は次から次へと舞台を変えていかなければ、地域住民の結束により、痛手をこうむるということであろう。その新しい舞台がリビアであり、将来はサウジアラビアやロシアに、なることも予測される。