トルコが唯一国外に持つ領土、それがスレイマン・シャー廟のある場所だった。トルコ国境から35キロほどシリア領に入った場所で、面積は8797平方メートルあった。
そこをトルコ軍が急襲し、スレイマン・シャーの遺体を回収して、シリアとトルコの国境沿いの、シリア側の場所に再度埋葬したのだ。
日本では全くこの問題に、興味が払われていないが、トルコ国内では大きな問題になっている。それは、今回スレイマン・シャーの遺体が、持ち出されたことで、二度とトルコはシリア国内に、領土を確保することが、出来なくなるという、不安があるためだ。
トルコ政府が今回の急襲作戦を決断した理由としてはいくつものことが挙げられている。
第一には、ISによってスレイマン・シャー廟が破壊されることを、恐れたからだというものだ。誇り高いトルコ人イは到底、見過ごすことはできまい。
第二には、ISによって包囲されていたスレイマン・シャーの警備兵が、殺害されるようなことになっては、6月の選挙で与党が不利になるために、作戦が急がれたというものだ。
第三言挙げられる理由は、シリアとトルコのクルド人に対する、警告だったというものだ。クルド側に対して、トルコ軍の軍事力と即応力を、知らしめることに、目的があったとするものだ。
第四には、トルコが今回の作戦を通じて、間接的にシリアの体制打倒はしない、というメッセージを送ったとするものだ。
今回の作戦を通じて言えることは、トルコ軍の動きがいかに素早く正確ダル化ということであろう。トルコ軍はスレイマン・シャー廟の救出作戦について、陸上部隊は45分で現地に到着し、戦車は30分で到着でき、ヘリコプターは5分で到着できると豪語していた。
そして、トルコの陸軍大臣はスレイマン・シャーの警備にあたっている将兵に対し、軍は見捨てはしないし、諸君の後ろには7600万人のトルコ人が控えているとも語っていた。このスレイマン・シャー廟の警備兵たちには、食料の補給が行われておらず、警備兵の通常の交代も行われていなかったのだ。したがって、いかなる理由があれ、救出の必要はあり、それが迫っていたということであろう。
さて、トルコは今後状況が安定した段階で、再度、元あった場所にスレイマン・シャーの遺体を納めるのであろうか、そうであるとすれば、当然のことながら、トルコ政府はシリア政府と交渉をしなければなるまい。